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メキシコ、カリフォルニア、日本 暮らしへの好奇心は尽きない
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素敵なピュアハーツ



予期せぬ人の行為は人を感動させる。

ある勉強会に隔週土曜日参加しているんだけれど、
順番で受け持つ司会役が先週末回ってきた。
そのための準備やらで週中は帰宅しても調整やら
書類作りに追われてヒーヒー状態。
そして迎えた当日。お得意の“壊し屋”もなりを潜め、
万事滞りなく進みお開きとなった。

その会では司会役は例会後一週間以内にレポートを作り、
サイトに掲載するのが役目の一つになっているんだけれど、
勢い余って翌日に作って提出した。通常その会ではレポート
は2,3週間後にボソッと送るのが普通だった。

さて、レポート送付から数時間経った頃、メンバーの一人から
会のメーリングリスト宛に僕の行為をたたえるメールが送られ
てきた。何でも、例会の模様が手に取るように分かり、尚かつ、
かつてないスピードで提出されたことに感じ入ったと綴られて
いた。ちなみにそのお方は日本語ペラペラな某外資系銀行に
勤めている韓国の人。

よせやい。こちとらたまたま暇な時間があったからそうしただけで、
本来なら提出せずにバッくれようようと狙っていたクチなんだから。

小生がそんないい加減な奴だとも知らず、件の氏は迂闊にも僕を
讃えてしまったわけだ。お気の毒に。

しかし、氏のメールは俺の気持ちを揺り動かした。
わざわざメールを送ってまで人の行為を讃える労を厭わない
氏のピュアな感性に、久々に胸が熱くなったのだ。

普段僕らはいちいち人の優れた行為を讃えたりしない。
すっげえなとは思ってもそのままやり過ごしすぐ忘れる。
けれど、受け取る側にとっては褒め言葉はこそばゆいながらも
嬉しいもの。

思えば、以前居たメキシコもそんなピュア・ハーツをガシガシ
押し付けてくるお国柄だった。何かと言えば、「あなたがいる
お陰で私の人生は輝いている」だの「宇宙で一番素敵な君へ」
とか腰を振りたくなるような文言を平気でノートの切れっ端に
書いて渡してくる。でも今となっては、そんな奴らのピュア
ハーツをとても恋しく感じる。

小さなことかも知れないが、所詮人生はそんなちっぽけな
喜びが集まって出来ているんだと最近気づくことが多くなって
きた。

ならば今度はこちらの番かな。
コリアンとメヒカーノ達に負けないとびっきりピュアな
大和魂を見せてやるのは。
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俺とアメリカ



誰もが人生のどこかでアメリカと出会う。
僕のそれは小学生1年の頃、韓国ソウルでだった。

当時漢江のそばに、“リバーサイドアパートメンツ”と呼ばれる
外人向けの集合住宅群があった。住民はアメリカ人、欧州人、
そして日本人。トイレとバスが二つずつある典型的なアメリカン
スタイルアパートメンツだった。ゴミはキッチン側のダストシュート
から生ゴミをそのまま放り込むと、一階のゴミ溜めにそのまま落下して
ゆき、1階の床に激突しぶちまかれるというなんともアメリカンな様式で、
残飯の宝庫のせいか子猫のように太ったドブネズミが数多く生息し、それに
目がけて石を投げつけるのが日課だった。

家では、砂嵐気味のアメリカ放送に夢中になった。"白バイ野郎
John&Punch"、"SWAT"、"超人ハルク"などなど。この頃、親の
財布からお金を無断でお借りし、特大サイズの戦艦のプラモデルを
大人買いし親に怒られまくるというアメリカンな事件が勃発する。

さて、そんな敷地内で多くのアメリカを見かけた。
先ず車。敷地に住む軍関係者が本国から車を持ってきて乗っていた。
ときは70年代。マッスルな見たこともない車があちこちに停まって
いたが、ゴンザレスさんの車がヒップでいかしてたからかそれとも
あまりにもおんぼろだったのか理由はとっくに忘れたが、“ゴンザレスさん
の車”というフレーズだけが今も脳に刻まれている。

次に敷地内のプール。夏になるとプール好きのアメリカ人でごった
返していたが、小僧の僕らも連れだってよく行った。そこで覚えている
のは体重が150㎏は優に超えていたであろうティーンエージャーがいて、
そいつがまたおっかない顔をしてて、気が向くと寝そべっていたチェア
からムクッと起き上がり飛び込み台の踏板が折れそうになる位しならせ
2メートル下の水中目がけて飛び込む姿だ。そのド迫力たるや数十年経った
今でもごくたまにそいつが夢に出てきてうなされる。

敷地内にはアメリカンな店舗トラックがやってきて、アメリカ人
だけがその中に入りドルで買い物が出来た。遠目で見てるとアメリカ人
の子供が見たこともないお菓子をしこたま抱えてトラックから出てくる。
食べると口が真っ赤っかになるアイスキャンディーがうまそうで
うまそうで、2度ほど東洋系アメリカ人の子供に成りすまして奇跡的に
そのアイスにありつけたことがある。そのパッケージの柄とアイスの
味と香りはまさにカルチャーショックだった。アメリカが強烈に内部に
侵入してきた瞬間だった。

ある日敷地内に、ヤンキー小学生の踊り子達がアメリカ人慰問にやって
きた。"raindrops keep falling on my head"をバックに、傘を
使って踊るミニダンサーのあまりの可愛さに、同じ小学生だったアジアの純真
少年達はすっかり参ってしまい、見終わった後も口をポカンと開けたまましばらく
放心状態で動けなかった。その瞬間、自分の中の好きな子ランキングがそれまで
のクラスメートの女の子から踊り子のひとりにいとも簡単にスイッチしたのは
言うまでもない。

アメリカは手ごわいぞ。
その圧倒的なパワーで迫り来て、あなたの心に卵をびっしりと
産み付け、風のように去ってゆく。

10年、20年が経つ頃には、卵から孵ったアメリカが
あなたの心の中にしっかりと住みついているんだ。
萌えろ新入社員!



もうすぐ4月。もみあげの剃り跡も青々しい新入社員が期待に
心を膨らませて入社してくる季節だ。

そんなことを考えてたら、心がかつての新入社員時代に
ワープ(古っ!)した。

当時の自分は波乗りと彼女と紀行文を何よりも愛する、仕事は
あくまでも緊急避難場所程度に考える至ってまともなヤングだった。

入ったのは輸入建材の商社で、社員50名弱の日本の総企業数の
99%を占める中小企業の一社。当時業界には追い風が吹いていて
業績も悪くない会社だった。

入社して半年間はほぼ仕事をしなかった。
で何をしたかというと、ひたすら文句ばかり言っていた。
やれ研修がないだの、やれ社有車が少ないだの、手当たり次第文句
を言うことで自分の冴えない成績の言い逃れをしようとする実に
人間的な社員だった。

どうでもいい話だが、当時トイレには裸電球がぶら下がっていた。
そこで、「鶏口となるも、トイレの裸電球となるなかれ」と設備の
ボロさを皮肉ったら何故かそのフレーズを営業一課の課長が気に
入り、以降彼がことあるごとに口ずさむようになった。

初年度の冬、グアムに社員旅行に行くことになった。
出発の日は会社に集合だったが、サーフボードを持参したとき、
「まじかよこいつ」の視線が矢のように降り注いだ。がお構いなく
ニコニコとボードを抱えてみんなの後に続いて日比谷線に乗り込んだ。
そしてそのまま無事に、団体+ボード1本がグアムのホテルに
チェックインした。

チェックイン後、すかさずロビーの端にあったレンタカー屋でセダンを
借りた。キャリアを日本から持参したので板は屋根乗せだ。
到着後のミーティングで夕方の食事まで自由時間なことを確認すると、
即効荷をほどき、タバコをふかして暇そうにしている先輩社員達をしり目に
ボードを抱えて部屋を出た。すると、廊下でばったり自分の属する課の課長
に出くわした。

「今から行くんか。なら俺も連れてけ」

げ、まじかよ。でもまあ暇そうにしてて可哀想だから荷物代わりに乗せてっ
てやるかと承諾して二人駐車場へ向かった。

グアムの道は快適だった。雲一つない空にブルーな海という書いていて
恥ずかしいフレーズそのままの景色。隣でタバコをふかす『荷物』がうっと
おしいが、日本から離れられた解放感で楽しいドライブだった。

しばらくして事前に調べていったポイントに着いた。河口の奥で波が割れて
いて一人波乗りしている。底は岩のリーフポイントだ。課長が見守る中、ポ
イント目指してパドルしていった。
(実はこの後、遭難しかけるのだがその話はまた次回に。。。)

2時間ほどして戻ってきて、そのまま課長と島内をドライブした。
ファミレスでコーヒーを飲み、ショッピングセンターを冷やかし、島の先端
まで行き、日本の戦艦が沈んでいる海をしばらく眺め、ホテルに戻った。

翌日のフリータイムに今日は島の裏側で波乗りしようと考え、いそいそと
部屋を出たら、6人の先輩社員が立ちはだかった。

「昨日、細井さんから聞いたぞ。俺らも連れてけ」

一挙に荷物が6個増えた。しかも全員男。有り得ないでしょ。これってパワ
ハラでしょ。しょうがなく、帰りに適当な所で全員置き去りにすることに
して、7人乗りで島の裏側へと向かった。

そこは黒砂のビーチが広がる、極めてローカルな浜辺だった。
並みもメローな腰サイズで誰も入っていない。昨日生命の危機を経験した
ばかりだというのに全く懲りていない俺は、6人をほったらかしにして海に
向かった。

一時間ほどして上がると、先輩の何人かが土地の人とラグビーをしていた。
何でも暇そうに浜辺にいるとラグビーボールをもった少年が数名現れたの
で、一緒に遊ぶことにしたらしい。みんな砂にまみれて楽しそうだった。
何はともあれ良かった。帰り道、アイスクリーム屋に寄り一休みした。泥だ
らけだが、どことなくみんな童心に帰って楽しそうだ。やれやれ荷物の
お守りも楽じゃない。

さて、自分の新入社員の時代はそういう無茶が許されていた時代だった。
学生から社会人への移行には多少なりとも時間がかかるのだ。やがて自分
で折り合いを付けていくことになるのだが、その過程とそれにかかる時間に
は個人差がある。それを見守ってやれるかがその新入社員の今後にも影響し
てくる。

初日に一緒にドライブした課長は今でも自分が尊敬する人の一人だ。
お互い会社を辞めてからも泊りがけで遊びに行ったりもした。
無茶を見守る懐の深さは人を育てる。

会社で機械のように働いて、巨万の利益を叩きだしてもやがて人は
老いて引退する日が来る。そして最後には人は皆同じ状態に戻ってゆく。

今の労働環境はハイテク機器が浸透し、また競争激化のために皆ひたすら
追いまくられるように仕事をしている。それはもはや常道を逸した状態
まで来ている。時代とは言えそんな中に突入して行く新入社員が少し気の毒だ。

大事なことって何だろう? 
人間性を犠牲にしてまでしなければならない大事なことって何?
僕にはその問いがいまだに解けないでいる。
カウンター

WELCOME TO Move On

異文化と自然を愛するイグアナ楽団のページへようこそ。これまでメキシコとアメリカに合計10年住んできました。それ以来人生の歩き方をテーマとして追い続けています。海外を旅するといつも考えさせられる豊かさとは何か。それについて思ったことを書いていきます。
プロフィール

HN:
イグアナ楽団
性別:
男性
自己紹介:
好きな言葉:「生きていくうえでもっとも大切なことは、自らを律し、可能な限り自分に正直であること」
by Robert Redford

mail : cocovenice@gmail.com
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