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メキシコ、カリフォルニア、日本 暮らしへの好奇心は尽きない
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JORGE  ジョルジェ

Puerto Vallarta Malecon, Puerto Vallarta, Mexico
This travel blog photo's source is TravelPod page: Puerto Vallarta Puerto Vallarta


Jorgeはスペイン語ではホルへって読む。でもなぜかジョルジェと呼びたくなるような少しイタリア人を彷彿させるようなイメージの男だった。

彼はかつて僕が住んでいたメキシコのコンドミニアムのお隣に、気が付くと居ついていた。どうやらそこの住人のフォーシーズンでシェフをやっている男の同級生とかでメキシコシティから流れてきたらしい。

何回かのゴミ出しで僕らは顔見知りになった。
そして何回かの夕暮れのプールでの鉢合わせで友人になった。
そのプールはどんな虫も寄り付かないほどの塩素投入で他に入る者がいなかったのだが、そんなプールで端から端へと気持ちよさそうに潜水で行き来していたのがジョルジェだった。

ある日奴は地元でナンバーワンのレストランに働き口を得た。そこはあのメキシコで人気のロックバンド『MANA』のベーシストだか何だかがオーナーのスノビッシュなイタリアンレストランだった。一度行ったが、たいして旨くもないオイスターロックフェラーに結構な金をふんだくられて憤慨したことを覚えている。

そんな店のウェイター職を得た奴はそれから2週間後にはプールの常連に戻っていた。何やらあのレストランの雰囲気に肌が合わなかったらしい。おべんちゃらを言うようなタイプではない奴にとってチップ収入が全てのウェイターは難しかったのかもしれない。勤務中に突然嫌になってそのまま家に帰ったと後から聞いた。

奴に野菜炒めを振舞った日(確か友人竹がメキシコシティから遊びに来ていた)、奴が日ごろから書き溜めている水彩画を見せてくれた。けれど、これがかなりシュールな絵だった。どう見ても小学生のお絵かきにしか見えない。見せられた俺と竹はふさわしい言葉が見つからず困った。何か言ってやらないといけない。やっと竹が腹の底から絞り出すような声で、『Bien』(いいね)と一言つぶやくのが精一杯だった。

ジョルジェはメキシコシティでは知られた高級住宅地の白人家庭の出だ。そしてあの絵からも分かるようにかなり個性的な感性の持ち主だった。

ある日奴が昼ごはんを招待してくれた。覗きに行くと、近所でもらったウィトラコチェ(きのこの一種)が手に入ったから一緒に食べようという。そんな彼が振舞ってくれたのは、ウィトラコチェのケサディージャ(チーズタコス)だった。僕たちは黙々と彼の作ったタコスを腹に流し込んだ。その見かけの悪いタコスは予期せぬうまさだった。

また別に日には二人で家の前のビーチに夕陽を見に行った。メキシコでいい年した男二人でビーチに行くというのはホモ的行為以外の何物でもないが、ひとしきりバカ話をしたあと無言で夕陽を眺め合った。そんな日に限って、夕陽がとてつもなく美しく、それが逆に僕たちを落ち着かなくさせた。今思えば俺たちどんだけきもかったんだか。

それから少しして彼はメキシコシティへと戻って行った。彼との交流はほんのわずかな期間だった。でもお互い生きるために奮闘してた身だったせいか妙な親近感が沸き、短い間に理解し合うことが出来た。

あれから何年も経ったが不思議なことに今でも定期的にあのジョルジェのへたっくそな前衛芸術風の絵と奴が振舞ってくれた見かけは悪いが味は最高のケサディージャを思い出すのだ。

何かの本で読んだ。人間の脳は順序だって送られてくる同一信号には反応しずらくて、何かギャップのようなものにこそ注目すると。確かにジョルジェのことを考えるとこの説をなるほどと思う。奴の不器用だが味のある存在感は、まるできれいに並べられた既製品のグラスの中に紛れ込んだ、ガラス職人が精根込めて作った吹きガラスのグラスを彷彿させた。

大作家の作品をメキシコ時代を通じていろんな美術館で見てきたけれど、ジョルジェのへたくそな絵が一番印象に残っているという事実。人間というものの奥深さを感じずにはいられない。
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ある名もなき偉大な男の死

今日、メキシコからある人の死を知らせる一通のメールが入った。
その人は僕の東洋医学修業中の師匠で、多くの人から愛され慕われるとても魅力的な男だった。

彼は若き頃日本にいたときは、農村に関わる出版の仕事をしていたと記憶している。その後人が人らしく生きられる社会の実現を夢見てメキシコに渡り、鍼灸師として仕事をする傍らメキシコのインディヘナが住む僻地で、東洋医学を広めることで農村医療の充実を図る運動を仲間達と始めその活動を何十年も続けてきた。そしていつしか彼は、メキシコの政治家、女優から名もなき一人のインディオに至るまで、多くのメキシコ人から、心の底から慕われ必要とされる人間になっていった。

他人の個人的な感傷に付き合わされるのは迷惑な話だが、少し付き合って欲しい。

僕が離婚して人生に迷っていたときに、偶然の縁から彼の門を叩いた。そのとき僕は何もかも失い失意のどん底だった。それでも一人で異国で生きていかなくてはならずきつかった。そんなとき彼の元に通うことだけがそのときのたった一つの希望だった。メキシコ人と一緒のクラスが終ると腹を空かせた僕に向かって彼は奥のキッチンでご飯を食べていけと誘う。嬉しかった。それはご飯だけでは終わらず、やがてテキーラの瓶が出てきて、最後には皆で『黒の舟歌』をギターを弾いて歌うのが常だった。その哀愁を帯びた音色とみんなの歌声は、孤独な夜の大都市にひっそりと佇む暖かな部屋の中に静かに響き渡っていった。みんな己の人生を振り返るかのごとく歌った。そのとき僕は、人は皆他人には分からない重いものを背負って生きていることを知った。そんな宴は夜更けまで続き、僕は危険なメキシコの夜道を乗客のほぼいない深夜の路線バスと駆け足でねぐらへと急いだ。

彼は誰にも優しかった。そして誰に対する時でも態度は変わらなかった。そして一切自分を飾らなかった。彼は酔うとロシア民謡を好んで歌った。音楽家のパーティーで、あるインディヘナ共同体でのフィエスタで。突然前に進み出ると、決してうまくはないが聞く者の心を打つ堂々とした歌声を響かせた。意表を突かれたメキシコ人達は拍手喝采だった。

彼は女性にもてた。日本に別れた妻と子供たちを残してメキシコの土となった彼。そんな彼がある日語ってくれた。メキシコに着いた当初、北部の牧場での経験。たしか女性が登場する話だったと思うがそれは映画の一シーンを彷彿とさせるようなものだった。でも彼は浮ついたプレイボーイなどではなく、一人の女性を真剣に愛する男だった。

彼への思い出は書き尽くせない。それに、大事な人の死を書き尽くせる力は所詮言葉にはない。ただ、もう一度、せめてもう一度彼と酒を飲み交わしたかった。それをしようしようと思いつつメキシコ行きが伸びてしまった。間に合わなかった。

人の死は突然訪れる。『ああっ』と思ったときにはその人はもうそこにはいない。永遠の後悔の波が静かに打ち寄せるだけだ。

人生で大事なものとは一体何だろう?

隣の人が来ている流行りの洋服か?
有名レストランでの美食か?
それとも、異性と過ごす一夜の快楽か?

そのどれも好きだが、去って行った師匠は笑っていうだろう。
『どれも味わえよ。それが人生さ。でも、もっと大事なものがあるはずさ。それと出会えるといいね』

今夜は、師匠と酒を飲む。久しぶりに。
恋はお熱く アイスは冷たく

2001年メキシコ太平洋側の町でのんびりと暮らしていたころのこと。隣にはメキシコ人夫婦が住んでいた。

夫のベニーは山本譲二似のずんぐり体型のアラフォー男だが、凛々しい顔つきのかなりのモテ男だった。不動産の仕事をしているらしいが一体いつ働いているのやら。朝8時ごろ釣竿を持ってダーっとアパートの階段を駆け下りていったかと思うと、午前3時ごろ危なそうなおやじと家から出てきてどこかに消え、そのまま2日ほど戻らなかったりする。そうかと思えば、昼間に白いシャツにネクタイを締め、颯爽と道を歩いている姿を見かけたりもする。

妻のルルは20代後半の白人系美人ラティーナで笑顔がチャーミングな女性だ。そんな二人の間には3歳になる絵に描いたような悪ガキが一人いる(みんなで海へ遊びに行ったときにこの悪ガキに料理に砂をかけられた。順調に“ラテン・ワル”への道を歩んでいたようだ)。実はベニーにはそれ以外に前妻と、別の愛人との間に計3人の子供がいた。

そんなベニーの夜遊びに、ルルの怒りが時たま爆発する。激しく言い争う声がしばらく続いたかと思うと、突然鳴り響く“バチーン”と横っ面を引っ叩く強烈な音。耳をつんざく怒声と体が壁にぶつかる振動。やがて聞こえてくるのはルルの泣き声と鼻をすする音。あまりの激しさに壁越しに聞き耳を立てる僕たちも思わず固まってしまうほどだった。

しかしルルも負けてはいない。家中のものを片っ端からベニーに向かって投げつける反撃にでる。隣の家から放り投げられた物が空中を横切っていくのを何度も目撃した。入居早々アパート前の道にズボンが落ちているのを見て、「これは何だろう」とずっと不思議に思っていたが、その謎も解けた。粗大ゴミで出されていた比較的新しいオーディオセットも喧嘩の産物だったようだ。

結局最後は悪態をつきながらベニーが家から出て行くのがお決まりのパターンだ。しかしそれから2,3日もすると、もう何事もなかったかのように再びいちゃいちゃしている。そんな二人を見て、恋愛のない人生なんて考えられないラティーノにとって、一見不毛な痴話喧嘩もここでは愛情維持に欠かせない肥やしのようなものなんだなと深く納得させられた。

ある日、彼らの部屋の前を横切ったとき、ふと見るとそれぞれ片親違いの子供達がソファーに一列になってテレビを見ながらアイスを食べていた。親同士は恋敵でも子供は別ということか。そのあどけない子供達がなんとも微笑ましくて、思わず笑みがこぼれてしまった。細かいことにこだわらないお国柄。大らかだねラテンは。
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WELCOME TO Move On

異文化と自然を愛するイグアナ楽団のページへようこそ。これまでメキシコとアメリカに合計10年住んできました。それ以来人生の歩き方をテーマとして追い続けています。海外を旅するといつも考えさせられる豊かさとは何か。それについて思ったことを書いていきます。
プロフィール

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イグアナ楽団
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男性
自己紹介:
好きな言葉:「生きていくうえでもっとも大切なことは、自らを律し、可能な限り自分に正直であること」
by Robert Redford

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