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メキシコ、カリフォルニア、日本 暮らしへの好奇心は尽きない
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トリニダの通りに咲く人生


(キューバの古い町TRINIDAD/トリニダ)

1514年に建設されたTrinidadは、1988年に世界遺産に登録されたコロニアル様式の街並みが残る歴史的な町だ。そんな500年前の街並みを見たくて、ハバナからバスに乗って出かけた。

到着して早速宿に荷物を置いて町に繰り出すと、道端で盤上ゲームを楽しむ人々を見かけた。年齢も肌の色もまちまちな男女が楽しそうにゲームに講じてる。その横を知り合いが通るたびに一声二声かけてゆく。そのたびに大げさな声をあげて言い返す。ゲームの様子を覗き込んでいく者もいる。何だかとても微笑ましい光景だった。

この光景を見ていてある寓話を思い出した。以前読んだ本に出ていた話だ。簡単に言うと、アメリカ人の観光客が南の島に休暇でやってきた。彼は、小さな手製の船で漁に出て少しだけ魚を獲って戻ってくる地元の漁師を見て言った。『もっと大きな船と網を手に入れればもっとたくさんの魚が獲れるのに。そしてお金が入ったら工場を作り、缶詰に加工して売るようになればよりたくさんのお金が入ってくるのに』。すると漁師はアメリカ人に尋ねた。『それだけお金が入ってきたらどうなるんだい?』アメリカ人は答えた。『朝から釣りをして、そのあとはハンモックで昼寝して、夜は友達と酒を飲んでギターを弾いて歌えるような暮らしが出来るよ』と。漁師は言った。『それならもうやってるよ』。

日本では、多くの人が『定年になったら悠悠自適な生活を送ろう。それまでは我慢の人生だ』とひたすら仕事のことを最優先にした生活を送ろうとする。しかし、現実は定年退職した人(男性に多い)は暇を持て余し空虚な毎日を送ることも多いと指摘されている。僕は、道端でゲームに講じるこのキューバの人たちは暇を持て余して遊んでるわけじゃないと思う。それ自体が生活の一部になってるんじゃないかな。たぶん彼らの頭の中には遊んでるという意識はないと思う。自分たちは今、日課をこなしているだけだと。これが自分たちの生活なんだと(実際はそう考えることすらないだろうけれど)。彼らは、“心に反した行動を取る”という我々が当然のごとく行っている行為をすることはなさそうだ。寓話の漁師じゃないけれど、『それをしていったい何が得られるの?』と聞かれるのがおちだろう。

“自分が何をやりたいのか”、その部分に目をつむって生きてると、いざ時間が出来たときに困ると思う。先延ばしにするんじゃなくてそれをやりながら生きられないか。やりたいことがたくさんあるのが豊かな人生の要素の一つだ。ならば今やらずにいつやるのかと思う。
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気持ちは一瞬で海を超える

昨日、メキシコ時代の職場の同僚の記事をアップしたら、今日、Facebookを通じてその職場の別の同僚からメッセージが届いてちょっとビックリした。さては僕の念が彼女を呼び寄せたのかそれとも単なる偶然か。まあそれはさて置き、そこにはこちらの様子を尋ねるフレーズやら子供が二人も出来て専業主婦やってることなど彼女の近況などが書かれていたんだけれど、最後にこうあった。

『いまだにみんなXXXがいないのを寂しく思ってるよ』だと。

きーっ。これには涙が流れたよ。もしかしたら彼女のリップサービスかもしれない(誰だよ、“そーだそーだ”って頷いてるのは?笑)けれど、彼女は僕みたいに社交辞令をペラペラしゃべるようなタイプじゃなくて、本当のことしか口に出さないタイプなので恐らくそうなんだろう(だから誰なんだよ、“おめでたいやつだな”ってヤジ飛ばしたのは?笑)。それに、僕と同僚達との当時の親密度から言ったら、彼女達が今でもそう思っていてくれていることは大いに想像が出来た。

帰国してからもう5年も経つ。それでもこうして遠くに去ってしまった一介の外国人のことを懐かしく思い続けてくれている海の向こうの同僚たちの優しい気持ちに熱いものがこみ上げた。

僕たちの間には1万キロ近い距離がある。けれど心と心は繋がっていて、この瞬間に相手のもとへ飛んでいくことができる。だから遠くにいる大切な人の心を優しく包んでやることだって可能なんだ。

Gracias Raquel.
豊かな暮らし計画 発進



恵まれた日本という国

僕らが住んでいるこの日本という国は世界でも稀な恵まれた条件を持つ国だ。自然はとても豊かで変化に富んでいる。雨はたっぷり降り注ぎ水資源は豊富。大地も肥沃で作物は多く実る。

インフラは日本全土に張り巡らされ移動にも困らない。治安も良く深夜にひとり歩いても大丈夫だ。医療にもかかれるし、年金もきちんと支給される。生活保護や高齢者の介護体制などの社会福祉も一応整っている。

日本ほど地理的条件がよく、社会的にもインフラが整い、政治的にも公平さが保たれ、自由が保障されている国は世界でも少ない。僕たちはそんな恵まれた国に住んでいる。


豊かさ指数では上位だけれど

実際、国連開発計画(UNDP)が2009年10月5日に発表した『人間開発報告書』によると、国民生活の豊かさを示す指数で日本は第10位に入った。これは平均寿命や就学率や一人当たり国民総生産(GDP)などが考慮されるので日本に高い順位が付いたのわけだ。しかし、日本の国民生活の豊かさがスペイン(15位)、イタリア(18位)よりも上?素直にうなづく気になれない。なぜだろう?

僕は、日本は社会基盤の面では豊かだけれど、この国が心が豊かになりにくい国になってしまったことに原因があると思う。

その理由はいろいろ考えられるけれど、一つは高度成長以来続いてきた、時代が変わっても拡大志向を持ち続ける企業を容認する社会でい続けていることと、もう一つは活気を生む多様な価値観が育っておらずいまだに閉鎖的な社会であり続けていることにあるんじゃないかなと思っている。

この二つは、経済最優先社会ではとても機能した条件だったと思う。働けば働いただけ売上も上がり収入も上がる社会では人々は過酷な労働にも堪えることが出来たし、ある意味そういう働き方が求められていた時代だったかもしれない。しかし、人口が減り市場が縮小している現在と今後は、今までと同じ夢を見て拡大を目指しても望むものは手に入らないのだ。そんな時代の波に反して、相変わらず地球を傷つけてでも自分たちのエゴを追及しようという企業。そしてそんな企業で非人間的な扱いを受け人間性を疲弊させてしまう人々。そしてそんな社会を容認している僕らと社会。こういう企業のサービスに“NO”を突きつけ、こういう社会でいることに“NO”をいうときがきたと思う。

目指す暮らしとは

ここ数年でがらりと社会情勢が変わりこの先は緩やかに経済は縮小していくことがはっきりとした今、再び生活に満足感を取り戻すには、社会を支配するこの二つの仕組みを変えていく必要があるんじゃないかと思っている。これからの時代は身を滅ぼすような働き方をせずとも、普通に仕事をしていれば贅沢は出来ないけれど普通に余暇を楽しむ余裕くらいは持てるような暮らしが手に入る働き方にシフトしていくべきだと思う。

パイが小さくなる以上、それを取り合いするのではなくて全員で分かち合わなければならない。生きることを競争と捉え、自分達だけが生き延びるために寝る間も惜しんで働くという発想じゃなくて、みんなが明るく生きていける社会を作るための努力が奨励される世の中であるべきだと思う。

そういう常識的で穏やかな価値観が広まれば、仕事環境、住環境、自然との共生、地域コミュニケーションなどの閉塞感に直結している課題は変わっていくと思う。そして今、目の前に突き付けられている、この国の抱える多くの問題の解決策が現れてくると思う。

誰もが社会に閉塞感を感じている今だからこそ、そろそろ社会が変化していかなければならない時に来ているんじゃないかな。そのためには、ひとりひとりが自ら変化を起こしていかなければならない。僕自身もそのためにどう変化していこうか日々模索している。

どれだけモノを増やしてもどれだけ刺激に身をさらしても生活は豊かにならない。本当の豊かさは心でしか感じることはできない。心は社会の空気を瞬時に感じ取ってしまう。そうであるならば、経済力を落とさないことを考えると同時に新しい企業のあり方、働き方も考えだし、持続可能であぶれる人の出ることのない社会を作り出していく必要がある。
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WELCOME TO Move On

異文化と自然を愛するイグアナ楽団のページへようこそ。これまでメキシコとアメリカに合計10年住んできました。それ以来人生の歩き方をテーマとして追い続けています。海外を旅するといつも考えさせられる豊かさとは何か。それについて思ったことを書いていきます。
プロフィール

HN:
イグアナ楽団
性別:
男性
自己紹介:
好きな言葉:「生きていくうえでもっとも大切なことは、自らを律し、可能な限り自分に正直であること」
by Robert Redford

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