忍者ブログ
メキシコ、カリフォルニア、日本 暮らしへの好奇心は尽きない
[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

紅海を後悔せずに航海したい



ヨルダンからエジプトへ向かう旅行者は、陸路ならイスラエルに入りシナイ半島東部のエジプト側国境も町ターバ(TABA)へ抜けるか、ヨルダンのアカバ(Aqaba)からエジプトのヌエイバ(Nuweiba)まで紅海をフェリーで渡るかのどちらかだ。僕は今回フェリーで渡ることにしたのだが、うわさ通りの一日仕事になった。

その日はぺトラ遺跡の町ワディ・ムーサのホテルに頼んでいたバスに朝早く乗って確か1時間ほどでアカバの港に着いたと思う。そこでフェリーのチケットを購入し出国手続きを済ませ余ったヨルダンのディナールをエジプトのポンドに両替して(この両替のレートが完全にこちらの足元を見たレートで係りの対応も最悪だったお陰でフェリー乗り場の情景を今でも覚えている。意外とそういうもんだよね旅って)後は出港を待つのみとなった。このとき、同じ宿に泊まっていた韓国美人2人組と行動を共にしていたのでここまでは極楽気分だったのだ。気が付くと僕らの周りには類は友を呼ぶといった感じで大きな荷物を背負った外国人旅行者が集まり始め、その数は15人ほどにのぼった。

それから1時間たっても何のアナウンスもない。美女軍団が差し出した木の実も食べ飽き、いらいらしながらさらにじっと待つ状態が続いた。2時間ほどしてさすがに心配になり(このフェリーは突然欠航するので有名)、フェリー運航会社の窓口に聞きに行くと「もう少し待て」とてんで埒があかない。しかし表を見ると他のアラブ人たちが続々とバス(フェリー発着所へはバスでしか入れない)に乗っている。彼らを指さしてどうなってるんだと問いただすと、頷きながら「あれに乗れ」とわけの分からないことを言う始末だ。もう文句をいう気力も失せて、韓国美女のもとへ戻って行った。

結局それから約1時間ほどして結果的に何とか乗船出来た。しかしそれも何のアナウンスもなく突然バスに殺到するアラブ人達を見て動物的カンで僕らもそれに続きそのバスに飛び乗って何とか乗船にありつけた次第だ。信じられないのは、乗船時に政府観光局とおぼしき男がやってきて、このフェリー港のサービス満足度についてのアンケートを僕ら外国人旅行者に配って回ったことだ。もちろんドクロのイラストと共に思いつくままの罵詈雑言を書いたことは言うまでもない。

そのフェリーにはどこの国かは不明だがアラブ人がたくさん乗っていた。ちょうどこの港のあるアカバはサウジアラビアとの国境まですぐのところにあり、イスラム巡礼月ハッジになると聖地メッカやメディーナ(ここから数百キロのところにある)を目指す北アフリカやアフリカなどの近隣国から来るイスラム教徒でこのフェリーはすし詰め状態になると聞く。そのときはハッジではなかったが、彼らもそんなメッカやメディーナに普通に巡礼(ウムラ)しに行った帰りかななんて想像した。

このフェリー、一応国際航路ということで免税店が有った。残念ながら写真を撮るのを忘れてしまい何が売っていたか思い出せない。僕たち外国人旅行者はスナックコーナーに陣取ってぺちゃくちゃやりながら、そしてアラブ人たちに物珍しそうなまなこでじろじろと見られながら紅海
を渡って行った。
PR
砂漠のブルースリーがくれたもの





リビア国境から約250㎞ほどのところに、ファラフラ・オアシスがある。外国人にとっては、2泊~1週間ほどの砂漠ツアーに参加するために立ち寄る以外縁のない町だ。しかしそんな外国人もそう多くはなく、町はのんびりしている。

僕はここがあたり一面砂丘に囲まれた所だと、てっきり思ってやってきたんだけれど、着いてみるとアスファルトの道路づくりが行われていたりと開発中の町で、まるっきり予想がはずれてしまった。しょうがないのでビル・スウィッタと呼ばれる温泉までヒッチハイクで行った以外はもうやることもなく一日でカイロに戻ることにした。

朝、バスに乗るまでの時間潰しに茶屋に入った。するとそこで砂漠のブルース・リーと出会うことになった。彼の名前はカリ。最初人見知り気味だったカリは、僕が店主と話しているとのそっとやってきて、『空手はやるのか?』と唐突に聞いてきた。ほんの少しかじったことのある僕は、『ああ、やるよ』とややそっけなく答えると、カリの瞳が輝きだした。

奴との間ですぐにカンフー映画談議が始まり、『ジャッキー知ってる?』『もちろん』、『ブルースの映画見たことある?』『あるよ』というような小学生レベルの会話から始まって徐々にカンフーの話へと移っていった。その間、奴は嬉しそうに顔を赤くしながらいちいち大げさに頷くのだった。

ふとサービス精神が湧き起こって、ジャッキーの酔拳のマネをやってみせてやろうと思い。立ち上がって、寄り目になり千鳥足で突きのマネをしてみせた。すると、これが奴の導火線に完全に火をつけた。茶屋のテーブルと椅子を傍らに押しやると、なぜか開脚をしながら上半身を床につけ己の体の柔らかさをこれでもかと披露してくれたあと、回し蹴りと踵落としのコンビネーションをビュンビュン繰り出す。しかしそれでは物足りないらしく、来ていたTシャツを脱ぎ捨てると表に出て通りのど真ん中で空手の突きやらジャンピング回し蹴りなどを始めたのだ。



まもなくポリスが2人飛んできた。どうやら喧嘩が始まったと勘違いしたらしい。あわてて店主やら僕たちが『そうじゃない。そうじゃない』と弁明する騒ぎになった。

ポリスが行ったあと僕たちは思わず笑い合った。汗だくの彼は空手の本場から来た人間に自慢の技を見せることができてとても満足そうだった。もしかしたらこれが彼にとっての晴れ舞台だったのかもしれない。そのために長い間コツコツと自主練に励んで来たのだ。そう思わせるだけの力の入ったパフォーマンスだった。そうこうしているうちにカイロ行の長距離バスが到着し、僕は彼らに楽しい時間の礼を言い、さよならを言い合うとバスに乗り込んだ。

10分ほど経ってバスが出発する直前、真っ赤な顔して息せき切ったカリがバスの入り口を駆け上がってきた。そして片手に持った何かを俺に渡すと恥ずかしそうな笑顔を残してタラップを降りて行った。その彼が残していったものに目をやると、それはおやつに食べる種だった。よくエジプト人がクチャクチャやりながら突然ペッと吐き捨てるあれだ。

これからの長い道中の気休めにとの彼の優しい心遣いだったんだろう。僕は窓ガラスに曲がるくらい鼻を押しつけて彼の姿を探したが、もう見えなかった。そして帰りのバスの中でその種をぼりぼりかじり続けたが、どうやらその一つが僕の中で発芽したみたいだ。僕はそれを、“カリとの友情の豆の木”と呼んで今でも大事にしている。

ラクダの客引き捕われ記



エジプト滞在中、帰国日も迫ってきたのである日ギザのピラミッドを見に行くことにした。ガイドブックによるとピラミッド地域入場料60ポンドでこれにはスフィンクス見学代も入っている。ピラミッド内部に入りたい人はそれぞれのピラミッドにつき内部入場料を別途払うことになる。それと注意すべきこととして、法外な値段を吹っかけてくる悪質ラクダ引きにつかまらないようにとある。まあ、ラクダに乗るつもりもないから大丈夫だろう。僕は、入場チケットだけ買って後はのんびりと歩いて見学出来ればいいかなと考えていた。

“人生は世の荒波にて成る”と言ったのはゲーテだ。この日、この言葉をいやというほど噛みしめさせられる結果となる。そうだ。ラクダ引きにまんまとやられたのだ。ゲーテもさぞかし痛い経験を積んで、思わずこの言葉が出たのだろう。彼の気持ちがよく分かる。

ギザのピラミッドに行くために、早朝カイロ市内のタリフール市バスターミナルまで行き、そこからクフ王のピラミッド近くまで行く357番のバスを待った。むろんバス停などなく近くにいた人に聞いた場所でひたすらバスを待つ。そこには既に外国人のようなそうでもないような風貌の3人組がバスを待っていた。30分くらいしてようやく357とアラビア数字で書かれたバス(このため前夜アラビア数字を必死で覚えた)が到着し運転手にピラミッドまで行くことを確認後乗り込んだ。

ピラミッドまでの所要時間は約1時間。すぐに溜まりに溜まった旅の疲れが襲ってきて爆睡状態に陥った。しばらく経つと誰かが僕の肩を揺らしている。あわてて飛び起きると一人の太った体格のいい40歳くらいのエジプト人が僕を起こしてくれたことが分かった。男は、ピラミッドに行くならここで降りてマイクロバスに乗るかえないとだめだという。このバスはピラミッドまで行くんじゃなかったっけと一瞬思ったが、あの3人組もすでにおらず乗客もほとんど乗っていない。そこで男の言う通りそこでバスを降りた。降りると男は、『エジプトには外国人をだますやつもたくさんいるから気をつけろ』と言う。そして、『自分は今から家に戻るところだが、ちょうどピラミッドの近くで地元民しか入れない無料の入り口があるからお前もそこから入ったらいい』と言ってくれた。その後、家族の写真を見せてくれたり、家族の話を聞かせてくれたりと(後になって全てこれは自分を安心させるための罠だったと分かるのだが)、かいがいしく困っている外国人を助ける心優しきエジプト魂の役割を演じ続けたのだ。そしてやって来たマイクロバスに一緒に乗り込んだ。

ほどなくしてマイクロバスが止まり、男について貧しそうな集落の間を歩いていくと前方にピラミッドが見えてきた。やった。この男はやはりいい奴だったんだと疑ったことを少し反省した。男は、『この先に無料ゲートがある』という。そして再び歩き始めると100mほど行ったところにある建物に入って行った。そして着いてこいとジェスチャーする。

その建物に入った瞬間全てを察知した。そこはラクダ引き屋だったのだ。壁には俺と同じようにしてここに連れてこられ、抵抗するまもなくラクダに乗せられた引きつった笑顔の欧米人の写真が所狭しと貼られている。そのとき、奥からカーフィア(スカーフ)を巻いてガラベイヤ(ゆったりとしたシャツとスカートが合体したような服)を身に着けた大男のおっさんが奥から金歯を光らせて登場した。そして居丈高にそばにいた下男にチャイを持って来いと命ずると、僕に向き直り茶色く濁った目を細めながら黒い顔を緩ませ何とも言えない不気味な笑顔を振り向けてきた。(くぅ。このキャスティング、シチュエーションに合い過ぎ)

もうここまできたら無事には帰れんなと観念した自分は、被害を最低限にとどめることに専念することにした。こうなったら、ラクダでも、コヨーテでもやかんでも、何にだって乗ってやる。その代り恐ろしく値切り倒してやると自分の守護霊達に総動員をかけた。

おっさんは、テーブルの上にあったメニューをおもむろに引き寄せてどれがお好みか聞いてきた。むぅ。ここでらくだに乗りたいそぶりを見せると相手のペースにはまるな。ここは場合によってはロバにするかもよ位のニュアンスは残しておこうとわざとラクダにそれほど興味はなく我が家はロバ派ということを匂わした。すると俺の心の中を読んだのかおやじがエコノミーコースもあるぞと別のメニューを見せてきた。よしこの調子だ。そこで今度は、本当はピラミッドもそんなに興味はなくて10分程見て帰る程度の消化試合のつもりで来たんだとかましてやった。おやじの目が充血し始める。僕はわざと時計をちらちら見て相手を焦らせる作戦に出た。おやじは常々日本人にはお世話になっているからお前には特別サービス料金を提供したいと言ってきた(いったいどんな世話なんだよ?)。

『ラクダで3つのピラミッドとスフィンクスを周って、クフ王の内部に入って4時間で950ポンド(約167ドル)でいい』とおやじは言ってきた。ちなみにピラミッドは徒歩で回れば60ポンドで済む。来た来た。そこでチャイをずずっとすすると、『余計なものはいらん。時間も短くていい』と返した。『それじゃあ3時間でクフ王内部なし。700』とおやじ。『うちは代々ロバ派だぞ。ロバもありだぞ』と俺。おやじの頬が少し赤身を帯びてくる。店の外でラクダをひいた若い衆数人が遠目で怪訝そうにこちらを見ているのが分かる。外も緊迫してきたな。『特別値引き500』おやじ。『高い。もう一度言う。徒歩なら60だ』俺。頭の上でエジプトのファラオの亡霊たちと倭の国の精霊たちが遣り合ってる。『くー。最後だぞ300』おやじ。『200!』俺。ふと前を見るとおやじが沸騰する寸前だ。やばいと思った自分は結局250ポンドで手を打った。もう内容なんてどうでもいい。早く五体満足でここから出なきゃやばい。頭上の精霊たちもかなり憔悴している。ちなみに250エジプトポンドで約44ドルだ。結構な金額だ。これだけ値切ってもおやじは大儲けに違いない。ふぅ。タフなおとっつあんだよ。

その後、ロバではなくラクダにまたがってピラミッドを周った。正味約50分とものすごく短縮されたが、初めてのラクダ体験は面白かった。しかしその後もラクダ引きにチップを要求され、ファラオの亡霊のしつこさにある意味感心させられた。

エジプトの客引きのレベルは“世界客引きランキング”でもかなりの上位に入るだろう。さすがファラオの国。4千年以上に渡って洗練され続けててきたテクニックは極東の島国育ちでは太刀打ち出来ない。ならばもし不幸にして罠に引っ掛かってしまったら、太刀打ちするのではなく見学する立場に回ればいい。そうすると面白いショーを見ることができる。でも、くれぐれも余りショーをお熱くしないようにね。
カウンター

WELCOME TO Move On

異文化と自然を愛するイグアナ楽団のページへようこそ。これまでメキシコとアメリカに合計10年住んできました。それ以来人生の歩き方をテーマとして追い続けています。海外を旅するといつも考えさせられる豊かさとは何か。それについて思ったことを書いていきます。
プロフィール

HN:
イグアナ楽団
性別:
男性
自己紹介:
好きな言葉:「生きていくうえでもっとも大切なことは、自らを律し、可能な限り自分に正直であること」
by Robert Redford

mail : cocovenice@gmail.com
人生のお買い物

最新コメント

[05/13 Backlinks]
[03/25 イグアナ]
[03/17 ハナ]
[02/05 ハナ]
[09/24 イグアナ]
最新トラックバック

アクセス解析

バーコード