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メキシコ、カリフォルニア、日本 暮らしへの好奇心は尽きない
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ありったけのダンスを



昨夜、11月にLAで行われた“アメリカン・ミュージック・アワード2012” の授賞式 の模様をテレビで見ていた。そこで改めて感じたことが一つある。

「どうしてアメリカンの踊りは我々ジャパニーズのものとは違うのか?」

彼らの踊りは、スピード、パワーが日本人とは全然違うのだ。日本人もずっと続い
てきたダンスブームによりその裾野は広がり、レベルも格段に上がってきたと思っていた。 けれど、昨日の授賞式を見て、こりゃかなわんわと冒頭から思わされっぱなしだった。

どうしてなんだろう?

彼らのほうが、手足が長いから?  日本にも長いやつらはいる
ダンスミュージックの歴史の差?  日本の太鼓の早打ちはすごいぞ
食べてるもんが違う?        それは昔の話。今は殆んど変わらない
子供の頃から踊ってるから?   日本でも幼少から英才教育受けてる

どれもしっくり来ない。
では一体この差はどこから来るんだろう?

そのとき、授賞式の場面が変わって、大勢のダンサーが出てきて、それぞれ
オリジナリティあふれるパフォーマンスを繰り広げていた。

解った! その答えは、多人種の中でもまれるからだ。

つまり、アメリカって、性能の良いダンサー孵化器のようなものかもしれない。
世界中からそれぞれの国の最高のダンサーの卵が集まり、その中で日夜切磋
琢磨している間にさらなる高みに達する。もちろん日本だって才能のあるダンサ
ーの卵たちが優れた学校で学んでいることだろう。けれど、受ける刺激がアメリカ
とは違い過ぎるのだ。日本にもし、アメリカのような環境があれば、日本のショー
の世界は劇的に変わると思う。

さて、自分も以前好奇心からNY旅行中にダンススタジオを訪れ、アフリカンダンスレッスンの一コマを受講したことがある。(レッスン代が確か10ドル前後という安さだった。)

それは凄まじかった。音楽は全て生音。3人ほどのアフリカン兄貴がコンガを叩き、それに合わせて素人がやったら即鞭打ちになりそうな激しい動きで体を動かす。参加者も白人、黒人、ヒスパニックと多岐に渡っていたが、皆ほとばしる汗などお構いなしにお互いが刺激し合いながら狂ったように踊り合う。 一般人が通うレベルのダンススタジオでさえその有様だ。この国がどれだけショーに対してその潜在力が広くて深いかを嫌というほど思い知らされた。

さて、余談だが、このレッスンの最後は、ひとりひとり真ん中に出て踊るという最悪のおまけがついていた。こっそり逃げようとしたら、アフリカ姐やに首根っこ掴まれ引き戻された。自分の番が来た。兄貴たちが激しく太鼓を叩き、オーディエンスはヒューヒューと盛り上がっている。そうなればなるほど、冷めるタイプの俺だが、ここで引き下がれば日本人の名誉が地に落ちてしまうと意を決して、自分の半生のつまった適当ダンスをぶちかましてやった。ふと我に返ると喧噪の中、人ごみの向こうに兄貴の一人が金歯を見せながらにっと微笑んだのが見えた。

ダンスはやっぱり、もまれて新境地を開拓するもんなんだ。 才能のある日本のアーティストには世界へ飛び出して行って欲しい。そして、日本に才能のある外国人が集まるようになって欲しい。
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一見不気味なおじさんから学ぶ発信の大切さ


夕方、かっぱ橋問屋街を歩いていたら、何やら後ろから声が聞こえてきた。
誰かが誰かと話しながら歩いているのかなと最初は思ったが、何だか様子
が変だ。そこで後ろを振り返ると、会社員風のおじさんが独り言をつぶやき
ながらお歩きになられていたことが判明した。

僕のいぶかしげな視線に気づいたおじさんは、一言「すみません」とのた
まわったが、その後もうしろを歩くおじさんからは、つぶやきが途絶えること
はなかった。
その時は正直少し恐怖を覚えたけれど、後でその意味が理解できた。
おじさんは、発信によるチューニング中だったのだ。

発信。実はこれがとんでもなく重要だということに最近気づいた。

久しぶりの投稿の今回、ブログを書いていないとますます書けなくなる
ことに気付いた。書くことが思い浮かばなくなるのだ。
もしかしたら人間って、発信することで創造性が生まれるんじゃないか。

例えば人と話しているとき、脳はめまぐるしく活動する。そして自分の放った
言葉にはっと気づかされることがある。
また、ノートに考えを走り書きしていると、思考が整理され考えがまとまって
くる。ブログを書いているときも、書きながら新しいアイデアを思いつく。

つまり、発信することで、新たな考えが生まれてくるのだ。

そこで冒頭のおじさん。
あのおじさんは、決して少しお病みになられた、薄気味悪いオタクなどでは
ない。たまにゃあ、ペンペン草でもたべにゃあ、いかんぞいと大事にしている
植木の若芽を食べて下さる憎たらしい可愛い飼い猫様のように、本能的に
発信調整が出来る人生のエキスパートとお見受けした。

発信は人を救う。
タトゥーと数珠とブラウンの水着




湿り気を帯びた前線が後退し高気圧が張り出す午後。
夏はすぐそこまで来ているラジオでも言ってたけど、湘南の海はすごい人出だそうだ。
山もすごいんだろうな。
バーゲンから始まって夏のプロ野球観戦、夏祭りから花火大会まで針が振り
切れるほどボルテージが上がる日本列島の夏。
勢い余って昇天される方も出てしまう。
思うに、四季のはっきりしている日本のはかない夏だからこそ、
人もはちきれんばかりに生を爆発させるのかも。

そんな夏。
きらいなものが二つある。

一つはタトゥー。
夏の湘南ビーチに行くと、最近良く見かけるようになってきたタトゥー。
タトゥーをした若いお父さんが子供を浜辺で肩車している(うへっ!)
幅広く市民権を得るのも時間の問題だろう。
授業参観でもちらほらタトゥーを見かけるようになるかもしれない。
でも「刺青は悪い人がするものなの」と骨の髄まで洗脳されて育った
自分にとって、いまだに抵抗がある。
このマインドコントロールは容易には解けない。
タトゥーがいまだ893という犯罪組織のシンボルでもあるという現状では。
茶髪が流行って、男も女も老いも若きも一億総茶髪になった痛い記憶がよぎる。

もう一つは数珠のようなブレスレット。
水晶か単なるガラス玉かは不明だが、開運とかそんな意味があるんだろうか。
女性で付けている人を良く見かける。
そこまではいい。アクセサリーとみなす。
だが、スーツを着ている男でたまに付けている輩がいる。
「坊さんですか?」
そういうのに限って、付けてるのがやたら輝きを放つ大玉だったりする。
何だか気持ち悪くていやだ。

逆に好きな物。

ブラウンの水着だ。
その昔小学生のときに、近所のグラマーなおばさんが身に付けていた。
高橋真理子似の涼しげなまなざしがトレードマークだったおばさん。
ブラウンの水着を着て、気だるそうに煙草を吸うその姿はまさに
ミセス・ロビンソンで、“GORO”なんて目じゃなかった(難易度:7)。
そのおばさんは、その後若くしてこの世を去った。
それが自分の中で“ブラウン水着”を伝説に昇華させた。
それ以来、ブラウンの水着をきた女性には無条件に優を与えることに
している。

さて、ことしの夏は自分もはち切れるつもり。
毎年九州で行われる、“ISLA DE SALSA”に乗り込む。
就航したばかりのJetstarも予約した。

タトゥーを彫って数珠ブレを付けたブラウン水着に出会ったらどうしようかと
おびえながら、夏の訪れを楽しんでいる。
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WELCOME TO Move On

異文化と自然を愛するイグアナ楽団のページへようこそ。これまでメキシコとアメリカに合計10年住んできました。それ以来人生の歩き方をテーマとして追い続けています。海外を旅するといつも考えさせられる豊かさとは何か。それについて思ったことを書いていきます。
プロフィール

HN:
イグアナ楽団
性別:
男性
自己紹介:
好きな言葉:「生きていくうえでもっとも大切なことは、自らを律し、可能な限り自分に正直であること」
by Robert Redford

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