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メキシコ、カリフォルニア、日本 暮らしへの好奇心は尽きない
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(借りていたアパート。このリビングで夜風に吹かれながら夜のTVタイムを楽しんでいた) メキシコの海辺の町に住んでいたときは夜はテレビを見て過ごすことが多かった。大体毎日夜の9時ごろから2時間がテレビタイムだった。ちなみにメキシコ人もテレビ大好きな国民で、夜はみんなテレビを見て過ごすことが多い。 メキシコは、テレビアステカ(TVAZTECA)とテレビサ(Televisa)の2大テレビ局があり、テレビアステカが2系列、テレビサが3系列のチャンネルを持っている。それ以外は、カナルオンせ(CanalOnce)と呼ばれる国立メキシコ工科大学が運営している教育番組とカナル22と呼ばれるメキシコ文部省が運営する文化、芸術、ドキュメンタリーの公共チャンネルで、TVをつけるとこれらが見れる。それ以外に600以上にのぼる地方テレビ局のチャンネルが存在している。殆んどの家庭では、メキシコのTV放送に加え有料のケーブルテレビに加入して衛星放送を見ている。 僕が主に見ていたメキシコの番組は、テレノベラ(ラテンメロドラマ)、バラエティ、ニュースだ。メロドラマは、ラテン諸国の中ではメキシコ、ベネズエラ、コロンビア、ブラジルで作られている。設定は中の上流~上流階級での話だがドラマ中は、メキシコ中の全女性が出演者に自己投影して熱心に画面に見入っている。内容もあり得ないような話が次から次へと起こるんだが、それがまた見てる人を非日常の世界へと連れて行く。それまで全く興味がなかった自分だったが、ある日何気なく少し見てみると、これが実に面白くてついに1時間見切ってしまった。それ以降隠れた熱いファンになり今日に至っている。ただ、放映期間があまりにも長く一度見始めると軽く半年は続くのでそれがつらい。 次にバラエティだが、メキシコのバラエティはコメディタッチのトーク番組も多かったがその中に必ず歌と踊りが入る。というより歌と踊りどトークが混然一体となった番組といった方が適当かもしれない。歌と踊りは、お熱いラテンの人達には絶対欠かすわけにはいかないものなのだ。当時はメキシコのさんまのような存在のAdam Ramonesの"Otro Rollo"(Televisa)と全世界で流行ったBig Brotherメキシコ版なんかが人気があってよく見てた。 ニュースは2大テレビ局にそれぞれ顔と呼ばれる人がいる。僕はテレビアステカのハビエル・アラトレ(Javier Alatorre)というメキシコ人の間で人気の高いキャスターの"Hechos-Noche"を夜の10時から見ていた。 メキシコの番組と日本の番組を比べると、完成度は日本のほうが圧倒的に高いと思う。番組のアイデアは豊富だし作りは凝っている。ただ、メキシコの番組はどれも世代を超えて楽しめそうな雰囲気を持っている。歌番組も多いせいか日本と違ってスターがまだまだ健在な世界だ。メキシコではテレビは相変わらず根強い国民の娯楽的存在なのだ。 PR 以前住んでいたメキシコのPuerto Vallarta(プエルト・バジャルタ)は一年中半袖で過ごせる温暖な町だったので、裕福なアメリカ人やカナダ人が別荘を持って住んでいた。そしてそんなパトロンがたくさんいるために多くのアーティスト達も集まってきて、町は観光客と外国人定住者とアーティストで溢れいつも開放的な雰囲気が漂っているようなところだった。
そんな町の高台に友人Raul Diasは住んでいた。彼は現代音楽を得意とするピアニストで、インドで修業を積んだヨーガの習熟者で、ロングボードを操るサーファーで、穏やかな性格の誰からも愛される人格者だった。 週末には無料の瞑想会を自宅で開いていた彼は、家の一室を神聖な瞑想の部屋に改造し、奇妙なオルガンで奇妙な音を紡ぎながらマントラを唱え集まる外国人をリードしていった。僕も気が向いたときに足を運んだ。 彼と会うのはだいたい海の上だった。ジャングルを超えたところにあるいい波が立つビーチで、沖にパドルアウトして行くとカールした長髪から水がしたたらせながら僕を見つけると嬉しそうに声を掛けてくる。そして夕陽が沈むまで共に波を追いかけて過ごした。 メキシコシティの白人系の家柄出身の彼は、インテリでいろんなことを知っていた。僕がローカル(サーファー)と喧嘩して気まずい状況になったときや、当時付き合っていた彼女と大喧嘩したときなど彼に相談すると、僕にミスがあるならば正すべきところは正すというきっちりとしたスタンスで話に耳を傾けてくれた。 僕の帰国が決まったある日、彼がこんなメッセージの印刷された小さな紙をくれた。そこにはこう記されていた。 Silence is the root of awareness. (静寂は気づきの根源。思いやりと正しさは、静寂の中から生まれる。/ スワミ・ムクタナンダ) そのメッセージを読むたびに、いつもラウルの目の奥に横たわっていた澄んだ静けさを思い出すのだ。 この絵は、あの映画エイリアンの原作者、H.R.ギガーのもの。 これはメキシコで手に入れたものだけど、これを見るときはいつも当時メキシコで友人だったスイス人のロルフを思い出す。時は16年前にさかのぼる。当時メキシコシティのソナロッサ近くに住んでいた僕は、たまたま休暇で行ったサンミゲル・アジェンデのバーで彼と出会ったのだけど、メキシコシティに戻ったら実は家が近かったということでよく遊びに行くようになった。彼はこんな感じのアートの卸のような仕事をしていて、彼自身アートのコレクターだった。実はH.R.ギガーも彼の親しい友人なのだ。まあ、それはいいとして、自由人の彼の家にはいつも人、特に女性がいて、どの女性も気だるさを漂わすボヘミアンタイプだった。 でかい獅子鼻がさらに沈没して顔の真ん中でどうにか踏ん張ってるような顔をしていた彼は、顔の通りまったく物事にこだわらない気さくな奴で(当時50位のおっさんだったが)、何となくフィーリングがあった僕は、暇を見つけては遊びに行き、アパートの入り口のベルを鳴らすといつも彼があのボクシングで打たれまくったあとのような顔を窓からぬっと突き出すのだった。 今思い出しても奴の笑った顔を見たことがない。自分で面白いことを言っても決して笑顔は見せなかった。いや、あの顔だから笑顔に見えなかっただけかもしれない。奴ときたら、いつも自分の気に入った絵や面白いもののことを熱くどちらかというと一方的に僕に語ってくるのが常なのだ。でもお陰で、いろんなことを教えてもらった。 人生でもう一度会いたいひとがいるとしたら、ロルフはその中のひとりだ。でも何だか、奴と何十年ぶりに会っても、まるで昨日も会ったかのような感じでお互い普通に話し始めるんだろうな。 | カウンター
WELCOME TO Move On
異文化と自然を愛するイグアナ楽団のページへようこそ。これまでメキシコとアメリカに合計10年住んできました。それ以来人生の歩き方をテーマとして追い続けています。海外を旅するといつも考えさせられる豊かさとは何か。それについて思ったことを書いていきます。 プロフィール
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男性
自己紹介:
好きな言葉:「生きていくうえでもっとも大切なことは、自らを律し、可能な限り自分に正直であること」
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