だだっ広い赤みを帯びた大地に緑の草がかろうじてまばらにしがみついている。訪れる人もないその遺跡は、風吹く乾いた土地で土に還っていく途上にあった。イラクとの国境の近くのユーフラテス川沿いにある、Doura Europos(ドゥラ・エウロポス)だ。

この遺跡は、ガイドブックによると、「紀元前4世紀末に、アレキサンダー大王の死後シリアを統一したセレウコス1世が、ユーフラテス川流域を通る交通路を守るために建設した軍事都市」らしい。その後、パルティア軍、ローマ軍の支配を経て、224年にササン朝ペルシアによって町を破壊され、ビザンチン時代に廃墟になったとのこと。この長い歴史により、遺跡には、ギリシャ、ローマ、ペルシャなどのそれぞれ時代の建物が混在して残っていてさしずめ博物館のような様相を呈している。

僕が行ったときは朝一番乗りで、誰もいない1km四方の遺跡を当時のことを考えながら歩いた。そこかしこに家や寺院、神殿とおぼしき建物がほとんど朽ちた状態で存在し、至る所に残骸や陶器のかけらが落ちている。しかし中には当時の生活が偲ばれるほどまだ形を留めているものなどもあり、僕の想像力をかきたてた。いったい当時はどんな人が、どんなものを食べ、どんな言葉を話し、どんな風に暮らしていたんだろうか。そしてどんなドラマがあったのだろう。




命あるもの、形あるものはいつかは朽ちて土に還る。その後には何事もなかったかのように大地だけが残る。そこに漂う無常観は、遺跡を前にした人間なら誰でも感じることだ。同時に遺跡は見るもののロマンをかきたてる。僕はそこに興味があって、なぜなんだろうと考えてみた。そこで出た結論は、歴史を学び、その歴史で起きたドラマを知っているからこそ遺跡を前にして胸が高鳴るんだろうということだった。逆に言うと、その遺跡について何も知らなければ感動も生まれないということだ。
世の中にはいろいろ楽しいことがある。だから別に遺跡を見に行かなくても、楽しみを見つけるのには事欠かない。けれど、遺跡を前にしたときの興奮は他の楽しみとは全く違うのだ。なんというか、ちっぽけな自分がその壮大なロマンを自分のためだけに作られた特別席で観覧しているような感じなのだ。そしてそこで感じたことは、心の奥深くに刻まれ、ずっと後々まで残っていくのである。それって、豊かさじゃないかな。
だから歴史を学ぶって、豊かさを手に入れることなんだよね。
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