
シリアの首都ダマスカスは4000年の歴史を持つ世界でも最も古い都市の一つだ。そのダマスカス中心部にある旧市街(Old Damascus)にはイスラム教第4の聖地であるウマイヤド・モスクや、巨大なスーク(市場)が横たわり、一歩足を踏み入れると確実に外界から遮断され中世へとタイムスリップする。
ある夜、スークに行く途中、1人の人物に目が留まった。それは、一見少年のようなんだけど、大人のような貫禄と世慣れ感、そして子供離れしたふてぶてしさを見につけた子やじ(子供おやじ)君だった。彼は路地で洋服らしきものを売っているようだったが、ふざけて周りのおやじをからかっていた。珍獣でも見るような僕の強烈な視線に気がついた彼は、「一枚俺を撮れ!」とふてぶてしく言ってきた。彼のド迫力に押されて全自動に設定したピントまでずれてしまった。
生きてくために、子供でも食い扶持を稼がなきゃならないんだろうか。少年が少年のままでいられない厳しい社会を感じる。ふとあることに合点が行った。自分など年相応に見られることがなく、いつも随分若く見られる。確実にとっちゃん坊やへの道を歩んでるところだ。それってつまり随分楽な世界に生きてるってことなんだろう。
どうやら時代が人を作るらしい。平和なふぬけの時代には食って寝るだけの人が、安定していない困難な時代には状況を打開できる人が現われるようだ。今日は投票日。平和な時代の候補者選びほど簡単でいて難しいものはない。なぜならどの問題もまだ芽っ子の状態で、どれが大きく育っていくのか見通せる能力者など今の時代には現われないからだ。
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