

リビア国境から約250㎞ほどのところに、ファラフラ・オアシスがある。外国人にとっては、2泊~1週間ほどの砂漠ツアーに参加するために立ち寄る以外縁のない町だ。しかしそんな外国人もそう多くはなく、町はのんびりしている。
僕はここがあたり一面砂丘に囲まれた所だと、てっきり思ってやってきたんだけれど、着いてみるとアスファルトの道路づくりが行われていたりと開発中の町で、まるっきり予想がはずれてしまった。しょうがないのでビル・スウィッタと呼ばれる温泉までヒッチハイクで行った以外はもうやることもなく一日でカイロに戻ることにした。
朝、バスに乗るまでの時間潰しに茶屋に入った。するとそこで砂漠のブルース・リーと出会うことになった。彼の名前はカリ。最初人見知り気味だったカリは、僕が店主と話しているとのそっとやってきて、『空手はやるのか?』と唐突に聞いてきた。ほんの少しかじったことのある僕は、『ああ、やるよ』とややそっけなく答えると、カリの瞳が輝きだした。
奴との間ですぐにカンフー映画談議が始まり、『ジャッキー知ってる?』『もちろん』、『ブルースの映画見たことある?』『あるよ』というような小学生レベルの会話から始まって徐々にカンフーの話へと移っていった。その間、奴は嬉しそうに顔を赤くしながらいちいち大げさに頷くのだった。
ふとサービス精神が湧き起こって、ジャッキーの酔拳のマネをやってみせてやろうと思い。立ち上がって、寄り目になり千鳥足で突きのマネをしてみせた。すると、これが奴の導火線に完全に火をつけた。茶屋のテーブルと椅子を傍らに押しやると、なぜか開脚をしながら上半身を床につけ己の体の柔らかさをこれでもかと披露してくれたあと、回し蹴りと踵落としのコンビネーションをビュンビュン繰り出す。しかしそれでは物足りないらしく、来ていたTシャツを脱ぎ捨てると表に出て通りのど真ん中で空手の突きやらジャンピング回し蹴りなどを始めたのだ。

まもなくポリスが2人飛んできた。どうやら喧嘩が始まったと勘違いしたらしい。あわてて店主やら僕たちが『そうじゃない。そうじゃない』と弁明する騒ぎになった。
ポリスが行ったあと僕たちは思わず笑い合った。汗だくの彼は空手の本場から来た人間に自慢の技を見せることができてとても満足そうだった。もしかしたらこれが彼にとっての晴れ舞台だったのかもしれない。そのために長い間コツコツと自主練に励んで来たのだ。そう思わせるだけの力の入ったパフォーマンスだった。そうこうしているうちにカイロ行の長距離バスが到着し、僕は彼らに楽しい時間の礼を言い、さよならを言い合うとバスに乗り込んだ。
10分ほど経ってバスが出発する直前、真っ赤な顔して息せき切ったカリがバスの入り口を駆け上がってきた。そして片手に持った何かを俺に渡すと恥ずかしそうな笑顔を残してタラップを降りて行った。その彼が残していったものに目をやると、それはおやつに食べる種だった。よくエジプト人がクチャクチャやりながら突然ペッと吐き捨てるあれだ。
これからの長い道中の気休めにとの彼の優しい心遣いだったんだろう。僕は窓ガラスに曲がるくらい鼻を押しつけて彼の姿を探したが、もう見えなかった。そして帰りのバスの中でその種をぼりぼりかじり続けたが、どうやらその一つが僕の中で発芽したみたいだ。僕はそれを、“カリとの友情の豆の木”と呼んで今でも大事にしている。

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