
15年ほど前にペルーを旅したときに買い求めたガラクタたち(メキシコのサパティスタ解放軍の人形とグアダルーペのマリア像も混じっている)。金属の髪飾りやスプーン、装飾品は18,19世紀のスペイン統治時代のものらしい。
メキシコをはじめとして中南米は、FOLK ARTと呼ばれる民芸品の宝庫だ。一つ一つ人の手によって作られるため仕上がり具合も一つ一つ違う。それがまたなんとも言えない素朴な味わいをかもし出していてたまらないのだ。
中南米の田舎に行くと、何十年も使われてきたとおぼしきもの達がいまだに使われているのを目にする。数え切れないほどの人に座られたであろう集会所の皮椅子、男達の腰に収まる黒光りする皮ベルト、年季の入ったカウボーイハットやブーツ、そして馬の鞍と皮の物入れ。それらは年月を経たものだけが持つ独特の存在感を放っていて、僕にはまぶしく映る。
翻って自分の持ち物はというと、前世代から受け継いだりしたものも含めて何十年も使いこんだものなど一つもなく、またこの先何十年もの使用に耐えられるものも少ないことに気付いた。新しいものがどんどん生まれる大量消費社会では、どんどん消費しどんどん購入し続けることが求められるから、僕たちはものに命を吹き込んで家族のように付き合っていくという経験がない。
中南米の田舎に行くと、世代を超えて使い続ける物に囲まれて生きる人達に出会える。異邦人の自分は、そんな暮らしからある種の豊かさを感じてならない。
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