
(photo by Memo Vasquez)
友人から以前お世話になったある日本人の死を知らされた。
その人は僕のメキシコ時代に始めて勤めた会社の当時の社長を務めていた人で享年62歳。癌だった。
彼も若くして夢を求めてメキシコに渡り、現地の人と結婚し子供をもうけて家庭を作った。そしてメキシコで生きていくことを決めた。それから30数年。いろんなことがあったことだろう。そんな彼も人生の幕を降ろし、次の世界へと旅立っていった。
死は突然やってきて、その人の存在をかき消していってしまう。あとに残るのは思い出だけ。もちろん僕も誰かが死んだときは涙を流すだろうが死が悲しいことだとは思わない。死は誰もがいずれ経験する生き物に課せられた宿命なのだから。ただ、何か心残りがあると死は痛みを伴うんだと思う。何か言い残したとき。何かをやり残したとき。言いたいときにはお互いそこには居らず、やり残したことを再びやる機会はもう来ないのだから。
簡単ではないことは分かっているけれど、死ぬときはスカッと死にたいものだ。キリキリに冷やしたグラスに注がれたキリンレモンの気泡が、夏の青空めがけてシュワっと飛んでいくかのごとくに。今回亡くなった、メキシコでお世話になったあの人も、そんな風に旅立っていかれたことを心より願う。
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