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メキシコ、カリフォルニア、日本 暮らしへの好奇心は尽きない
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日本の町にもクリスマスの飾り付けが増えてきた。
このクリスマスの飾り付け、すでに市民権を得て毎年気合いの入った力作を披露する家庭も少なくない。それを楽しむファンなんかも居てそれはそれでなかなか楽しい行事になっている。 楽しい行事があるというのはたいへん結構なことだけど、ただ今日見た飾り付けからは残念なことに何も伝わって来なかった。そこにあったのは、ピカピカとまたたくただの飾りだった。 なんで何も感じないのだろう? 少し考えてみた。 仮説1 気温が高く季節感がないから 仮説2 自分の感性が鈍ってしまったから(受け止め方) 仮説3 世相がクリスマス気分ではないから 仮説4 精神性のない単なる行事だから まあそれぞれ当てはまるんだろうけど、いま僕が一番引っ掛かってるのが仮説4だ。 「クリスマスって何?」と聞かれると「やだあんた何言ってるの。キリストが生まれた日でしょ」と大方の人から返事が返ってくるくらいその意味は誰でも知っている(本当はキリストが生まれた日は不明で西暦300年代にこの日を降誕の日として祝うようになったらしい)。けど、ほとんどの日本人にとってはそんなことどうでもよくて、クリスマス=ケーキ+シャンパン+プレゼント+イルミネーションなのだ。つまり商業ベースに誘導されるがままにたどり着いた向こう岸で行う一夜の大騒ぎなでしかない。 何だかもったいない気がする。あんなきれいな飾りを形だけで終わらせてしまうのって。クリスマスって本当はもっとスピリチュアルでロマンチックなものだよ。本当はこの日にしか体験できない感情を味わえる日なんだよ。 僕は韓国とメキシコとアメリカでしかクリスマスを経験したことはないけれど、ヨーロッパほどのレベルではないにしてもそれなりにぐっと迫ってくるものがあった。宗教的な情熱のようなものはどうやら異教徒にも伝わるようだ。クリスマスは世の中が物質的世界から精神的世界へと姿を変えるほんのわずかの貴重な時間だ。それは人に大事なことを思い出させ、原点に帰してくれる。 企業もこの時期に便乗するだけじゃなくて、もう少し本質的なクリスマスに迫らにゃいかんと思う。そんな企業があったら『お気に入り』に入れるな。そして一般家庭の飾り付けにも同じことを期待したい。『どこかスピリッツを感じさせるイルミネーション』。そういうのに出会えるのを楽しみにしている。 PR | カウンター
WELCOME TO Move On
異文化と自然を愛するイグアナ楽団のページへようこそ。これまでメキシコとアメリカに合計10年住んできました。それ以来人生の歩き方をテーマとして追い続けています。海外を旅するといつも考えさせられる豊かさとは何か。それについて思ったことを書いていきます。 プロフィール
HN:
イグアナ楽団
性別:
男性
自己紹介:
好きな言葉:「生きていくうえでもっとも大切なことは、自らを律し、可能な限り自分に正直であること」
by Robert Redford mail : cocovenice@gmail.com 人生のお買い物
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あぁぁぁ。うれしいです。
精神性のないクリスマス、なんていっても
この国では
誰も耳を傾けてくれません。
クリスマスが何の日なのか
説明できる人もどれだけいるのか疑問です。
南のとある島の
電気もろくに通じない田舎道で、
裸足の子供たちがキャロルを歌って
練り歩く姿。
電飾が買えなくても、
ビニール袋に色水を詰めて、
木につるしてツリー代わりに楽しむ
ニッパハウスに住む人々。
そこには確かなぬくもりと
慈愛のようなものが
ありました。
ハロウィーンも、
同じ運命をたどりそな。
この総国民
思考停止状態がちょっとこわいです。
それと同時に思ったのが、信仰が生活に根付いている彼らへのうらやましさです。それがあることで保てる世界がありますからね。
bluemoonさんの言われた“慈愛”ということば。いい響きを持つ言葉ですね。
自分も含めて今の日本の都会人の顔からはまず感じられない言葉でしょうね。
“慈愛”を売り出したら売れるだろうなあ。みんながかなり不足してるものだから。