
(ルクソールの王家の谷近くで建設中のブティックホテルを見学するアラン)
旅に出るとその後の人生で忘れられないような人物に出会うことがある。ルクソールの安宿で出会ったフランス人のアラン(Alain)もそんな一人だった。彼とは朝食のときの相席がきっかけで、3日間の付き合いは始まった。(不思議なのは、朝食の席を取り、トイレに行って戻ってきたら彼が同じテーブルの前の座席に座っていたのだ。他にも空いているテーブルはたくさんあったのになぜだ?)
彼は、モロッコで9年経営していたブティックホテルを売り払い、3年をかけての長旅の途中で、徒歩と乗り物を織り交ぜるスタイルでモロッコ~ヨーロッパ~ギリシア~トルコ~シリア~イスラエル~シナイ半島を旅してここにたどり着いた。歩いて旅をするとき泊まるところはどうするのか聞いたら、「地元の人に今晩泊めてくれるようにお願いする。もちろんお金は払うことはなかったよ」と言っていた。彼はゲイで同時にチベット仏教徒でもあった。
出会った翌日、タクシーをチャーターして彼とルクソール西岸の王家の谷やその他の神殿を見に行った。遺跡を見学し終えて僕たちのタクシーが集合地点にやってくるのを待っている間、ひとりの物売りが観光客に片っ端から声をかけてことごとく断られているのを見かけた。その男は売れ行きが思わしくないせいか強引で暴力的な雰囲気を発していて観光客も避けて通るありさまだったのだ。少しすると、その物売りがこちらのほうへやってきて、血走った眼でアランを睨みつけると半ば強制的に持っていたファラオの粗雑な置物を売りつけようとしてきた。すると、微動だにせず物売りの口上を聞いていたアランは、その男が話終えても相手の目を優しくじっと見つめ続けたままだ。そのまま15秒ほど経つとペースが乱されたのか物売りが大人しくなった。そこでアランが口にしたのは次の一言だった。
『
なんで君は僕にこれを売りたいの?』
突然こう言われた物売りはきょとんとしてしまった。そりゃそうだろう。物売りになぜそれを売りたいのか聞く人はいない。それを相手の目をじっと見つめながら言うのだ。物売りの思考回路がおかしくなっても無理はない。アランは続けて言った。『俺はこれを必要としていない。だから買わないよ』と。そして優しいまなざしを相手に向けながら、『そんな態度では誰も買わないよ。もっとにっこり笑ってお客さんをつかまえなきゃ』と続けた。すると荒々しかった物売りが、『今日は朝からひとつも売れてないんだ』と心の内を打ち明けてきた。それから物売りと観光客という枠を超えた二人のやり取りがしばらく続いたが、やがて僕らのタクシーがやってきて幕を閉じた。別れ際の物売りは彼にすっかり感化されたようすで笑顔を取り戻していた。そしてあたかも古くからの知り合いであるかのごとくアランと別れの挨拶を交わすと物売り達の輪に戻って行った。
彼と行動を共にした3日間の間でこういうシーンを何度も見た。彼は言う。『物売りたちを観光客は邪見に扱う。物売りも人間なのでそういう扱いを受ける彼らは実は傷ついているんだよ』と。
どんな時でも笑みをうかべ落ち着いて対応するアラン。類まれなコミュニケーション能力と頭の回転の速さとユーモアを持つ笑顔のいい男。でもやはり彼の核となっているのは、厳しいまでに本質を見る目と人間に対する愛だ。今頃も世界のどこかでみんなに愛をふりまいていることだろう。
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