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メキシコ、カリフォルニア、日本 暮らしへの好奇心は尽きない
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砂漠の修道院


(アスワンからナイル川対岸のヌビア人の村近くの砂丘より)

あらかたのエジプトに行く人のお目当てはピラミッドやファラオの残した財宝だ。ギザのクフ王のピラミッド、ルクソールの王家の谷、最南端のアブシンベル神殿、そしてカイロの考古学博物館に安置されるファラオのミイラとツタンカーメンの財宝など、ミステリアスで一度は見てみたいものばかり。しかし今回の旅で僕が一番興味があったのは、エジプトの砂漠に点在する修道院だった。

エジプトは紀元前30年にプトレマイオス朝のクレオパトラが自殺したあとローマの属国となり、その頃から原始キリスト教であるコプト教が広まっていった。しかしコプト教はキリスト教に取って代わられ次第に迫害されるようになる。やがて7世紀にアラブ軍のエジプト征服によりキリスト教の時代が終わり、エジプトはイスラム教の国となる。そんな中、エジプトのコプト教は砂漠の真っ只中という過酷な環境に修道院を築き、今日までその精神性を伝えている。

僕がその存在を知ったのは、“砂漠の修道院”という一冊の本からだった。その内容はエジプトの砂漠に展開するコプト教修道院に対する1人の日本人研究者のフィールドノートだ。その本の中に掲載されていた果てしなく広がる砂漠にポツンと佇む僧窟の写真に心を動かされ、自分もその中に身をおいて何を感じるか試してみたかった。本によると、紀元4、5世紀ごろは不毛の荒野に向って脱出する世捨て人が後を絶たなかったらしい。彼らはエジプトの涸れ谷やヨルダンの荒野、小アジアの大渓谷に住み着いて自分の洞窟をうがち、人との繫がりを一切断ち、たったひとりで断食と祈りだけの苦行に身をさらし続け人知れずこの世から消えていったのだろう。

東方砂漠の修道院の中でも、“ワディ・ナトルン”にある聖マカリウス修道院に行って(泊まって)みたくて何度も電話をかけたが誰も出なかった。旅程の関係もあって今回は断念することにした。しかし別の機会にコプト教とは関係ないものの、上の写真から30分歩いたところにある“聖シメオン修道院”まで砂漠を横切って訪れた。その修道院は残念ながら13世紀に廃墟となり、訪れる者もほぼいない状態で砂漠の風に吹かれていた。その規模はかなり大きく、相当な人数の修道増が住んでいたことが伺えた。

砂漠の修道院での暮らしは、ドッグイヤーに生きる僕達とは対極にある生き方だ。寿命の変化はあるものの、昔の人も今の人も人生の価値は等しく、人間としての使命も変わらないはずだ。しかし、昔と今とでは、人の考えていること、そして行動には天と地ほどの差がある。

科学の進歩と共に人間は進化せずに、逆に退化してきているような気がする。いつの頃からか人間は頭を使わなくなった。ベルトコンベアーに乗って言われるままに動いていれば悪いようにはならない生活が人から考える機会を奪った。翻って砂漠の修道院。敢えて不便で過酷な環境を選んでその中で生活を営もうとする精神。砂漠の風に数時間吹かれたせいか、そこに隠された意味を少しだけ感じ取ることが出来た気がする。
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異文化と自然を愛するイグアナ楽団のページへようこそ。これまでメキシコとアメリカに合計10年住んできました。それ以来人生の歩き方をテーマとして追い続けています。海外を旅するといつも考えさせられる豊かさとは何か。それについて思ったことを書いていきます。
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好きな言葉:「生きていくうえでもっとも大切なことは、自らを律し、可能な限り自分に正直であること」
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