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メキシコ、カリフォルニア、日本 暮らしへの好奇心は尽きない
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人はみな自分の人生を旅しているんだね

最近友人と話をしていて言われた言葉がある。
「そんなにメキシコがいいなら戻ればいいじゃない」。

そのとき僕はいかにメキシコの生活が素晴らしかったかをとうとうと
語っていた。それを聞いた友人が、僕がメキシコ礼賛するあまり日本を
ないがしろにしていると感じとってしまったようだ。そして上の発言が
静かに発射されたのだ。

もちろん、言葉にどう反応するかは受け手の捉え方次第なので、
いちいちそれに反応することはしない。また、その人の思い込みが強く、
真意とは程遠い解釈をされてしまい、歯がゆく思うことも生活してるとままある。
さて、このときは大事な友人の言葉でもあり一応振り返ってみた。

そこで気づいたことがある。人はそれぞれが自分ならではの価値観を
持っていてそれに基づいて生きているということ。みんなそれぞれに
大切な世界を持っていて、一人として同じではないということ。
つまり誰かの気に入ってるものを他の人も同じように気に入るかって
いったらそんなことはなく、他人の大事にしている世界なんて他人から
みれば理解不能でまた興味もないって思っておいたほうがいいってこと。

サンキュー マイ フレンズ。俺にはその視点が欠けていたよ。
俺が見ているものはみんなが求めているものなんじゃないかななんて、
じつは思ってた。それは驕り以外のなにものでもない。たぶん自分しか
見てなかったんだと思う。それに人が望むものを提供したいって発想も
一見正しいように見えて実は不純な動機だ。なぜならそこには自分
の本当の気持ちを隠して世間に迎合する可能性が見え隠れするから。

この言葉で何かが吹っ切れた。自分が好きなだけでいい。先ずはそこから
やればいい。それで集まって来てくれた人こそ、その人が同じ価値観を
共有する仲間に他ならない。たとえばまったく身勝手なこのブログに遊びに
来てくれる読者のように。

もう遠慮はしない。好きなことを追っかけるよ。人の人生考えるなんて
おこがましい。お前はガンジーか。いや、俺はただの、でも一度きりの
チャンスを与えられたイグアナさ。

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銃では人を止められない~パレスチナ近況便り

イスラエルに住む活動家の友人M女史からパレスチナ関係の映像が送られてきた。(動画は以下のサイトに掲載されていたもの)
http://irregularrhythmasylum.blogspot.com/

シリアとイスラエルの国境緩衝地帯を地雷の恐怖をものともせず国旗を掲げて歩いてくるパレスチナ難民たち。その姿になぜか熱いものがこみ上げてくる。



以下、そのM女史のこの動画に関する文章をそのまま掲載させてもらう。

「63年ぶりにして初めて、国境の柵を破りイスラエル側に入ってきたシリア人たちを昨日のテレビニュースでみて、心が震えました。シリアに住むパレスチナ難民が昨日2000人ほど国境を破ってきた時の動画を送ります。国境を破り、イスラエル側に入ってきた難民達が親戚や友人達と抱き合い、再会を喜びあっています。」

「エルサレムから戻った友人に聞いたところ、金曜日から今日までエルサレム旧市街は完全に封鎖状態にあり、旧市街から一度でると何日も戻れない状態にあったそうです。そして旧市街のアラブ側の全ての電話回線が停止されたため、誰にも連絡がつかない状態が続いていました。

動画を撮っているのは、イスラエル側に住むパレスチナ人で、『爆弾が埋まっている。危ない。もう止めろ。』と叫んでいます。これが聞こえなかった難民達が柵を破り走ってイスラエル側に来ます。そして抱き合って喜ぶ。
このときイスラエル軍による攻撃があり、4名が殺害されました。難民達は逃げ回り、全員もときた坂を上って柵をくぐり帰って行きました。」 

僕がこの活動家の女性と出会ったのはほんの偶然だった。

2年前のイスラエル旅行中、エルサレムに滞在していたとき現金が足りなくなったので新市街のATMで下ろそうと30分かけて歩いていくことにした。夕方、キリストが十字架を抱えて歩いたVia Dororosa沿いに建つホテルを出て新市街へ向かった。幾千年も前から人々が行き来してきたダマスカス門を出ると、既に人通りは少なくなっており、昼とは打って変わった危険な空気が漂い始めている。至るところにたむろしている重装備のイスラエル兵が殺気走った視線を投げかけてくる。エルサレムはもとパレスチナ人が住んでいたところ。それを今イスラエルが実行支配しているのだ。いつ爆弾テロが起きてもおかしくない状況がずっと続いている。

エルサレム旧市街の城塞を横目に見ながら坂を登って行く。薄暗い通りを歩いてゆくとやがて街が見えてきた。1軒の怪しげなネオンで彩られた酒場が見える。近づくと、中はエチオピア人でぎっしりと埋まっていた。しかしエチオピアンミュージックが流れるバーには明るさがなく、バーの空気は淀んでいた。エチオピア人はイスラエル軍の兵士として徴用されるが、その後使い捨てにされるような話を聞いた気がする。やはりそのバーに立ち込めていたのはやり場のない感情だったのだろうか。

そこからしばらくイギリスの古びた町にあるような通りを歩いてゆくとビジネス街らしき広場に出た。さてどこにATMがあるだろうかと思案に暮れていると日本語で「何かお困りですか?」と聞かれた。彼女が活動家のMさんだった。それから親切な彼女にATMまで連れて行ってもらったのだが、何十年もイスラエルに住んでいるとお聞きしぜひ話を聞きたいと思ってコーヒーでもと誘った。 結局それから2日間に渡って、イスラエルにきた理由、生い立ちから結婚、子供のこと、パートナーのこと、そしてパレスチナ問題などいろいろな話を聞かせてもらうことが出来、そのお陰でまたひとつ自分の中で新しい世界が生まれた。彼女にはイスラエル左派の文化人が集まる自然食レストランやアーティストバー、なぜかヘビメタバーまで連れて行ってもらったが、それだけにとどまらず、危険な夜の情報収集活動にまで同行させてもらった。

あられちゃん風眼鏡をかけた至って普通の感じのする彼女。しかし、常人には持ち合わせていない半端ない信念が体の中を貫いていた。彼女こそ銃を持たない本物の戦士だった。
もう日本を感じない

人は誰でも他人には語らない悩みを持っている。もし人にしゃべって解決
できるならとっくにそうしてる。でもそういう悩みはオートクチュール
なため他人のアドバイスなどでは解決せず、詰まることろ本人しか解く
ことは出来ない難題なことが多い。

僕の場合、そんな難題のひとつに日本を感じないというのがある。
僕が日本を感じることが出来たのは大学生くらいまでだったかもしれない。
その頃は日本が自分の世界の全てで、四季の変化を楽しみ、その中で訪れる行事に一喜一憂出来ていた。

杏里の“砂浜”を夏の終わりの鴨川で聴いてじんときたり、
ユーミンの“シーズンオフの心には”を乗鞍で聞いて冬の日本にずっぽり
寄り添ったりしていた。そう、当時自分の心は紛れもなく日本にあった。

それから随分時間が経った今、日本に全く何も感じなくなってしまった。
夏の祭りにも、冬の温泉にも、もう何も感じることはない。
いつの間にか、僕は日本不感症になっていた。“日本?そこにはもう
何もないでしょう”と言う具合に。

僕の中に何かが起きたのは間違いない。長きに渡る海外生活のせいかもしれない。変わり過ぎた日本の姿が原因かもしれない。いずれにせよ厄介な問題を抱え込んでしまったことには変わりがない。

もう一度、切なくなるほど素敵だった日本の夏のエクスタシーを感じてみたい。



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WELCOME TO Move On

異文化と自然を愛するイグアナ楽団のページへようこそ。これまでメキシコとアメリカに合計10年住んできました。それ以来人生の歩き方をテーマとして追い続けています。海外を旅するといつも考えさせられる豊かさとは何か。それについて思ったことを書いていきます。
プロフィール

HN:
イグアナ楽団
性別:
男性
自己紹介:
好きな言葉:「生きていくうえでもっとも大切なことは、自らを律し、可能な限り自分に正直であること」
by Robert Redford

mail : cocovenice@gmail.com
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