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メキシコ、カリフォルニア、日本 暮らしへの好奇心は尽きない
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センスと熊の置物



早朝、週末恒例のランニングに近くの土手まで出かけた。
僕は走っているときたいていくだらないことを考えている。
“ネコに好かれるにはどうしたらいいか”とか、“真下を流れる
川を泳いで横断したら気持ちいいだろな”とか、または“今すれ
違ったおやじは絶対にズラだ”とかそんな小学生並みのことを真剣
に考えてうだうだ走っている。しかし今日は久しぶりにまともな
テーマが浮かんできてしまったので、それについて少し書きたい。
それは“センス”についてだ。

“あの人センスいいね”と言う風に使われるセンスだけど、世間では
肯定的に受け止められている言葉の一つだ。それを持っていること
でその人は世間から一目おかれることになる。そのため僕らは意識的に
、もしくは無意識的にでもセンスを磨こうとする。例えば、カラー
コーディネイトの学校に通って色彩のお勉強をしたり、海外のインテリア
誌を定期購読して、そこに出ているスタイルを吸収しようとする。
これらはみなセンスを磨くために行われる。
その結果、その人たちはそれなりの感覚を身に付けてゆく。

“あらそう。センスってやはり大事なのよね、おっほっほー”
おおっと、そこの葛飾ネーゼのお姉さま。早まっちゃダメ。
“センスセンス”ってあーた、扇子の舞扇堂じゃないんだから。
センスに恋して何か大事なもの見失ってないかしら?
それは“自分の好み”というもっと大事にしなきゃなんないものなの。
(オギママ風しゃべり ここまで)

そう。センスとはあくまでもある対象を客観的に見たときにそれに対して
使う言葉で、決して追うものではないと思う。つまりセンスとは結果で
あって目指すものなんかではなくて、その前に自分の好みで選ぶこと
こそ本来の姿なんだと思う。

“人が何と言おうと俺はアイヌの熊の木彫りの置物が好きだし集め
てもいるよ”
“ペナントにぞっこんなの。部屋中に飾りたいわ”

人は必ず自分の大事にしている独自の世界があるわけで、それは
センスとはまた次元の違う世界なのだ。そしてその両者が交じり
合うこともない。またそれが対立し合うこともない。

それなのに世間では誰もがセンスを重要視しそれに従って物事を決める。
例えば、セレクトショップでは好みよりもセンスの良さで服を選び、
部屋はインテリア雑誌で紹介されたもので埋め尽くされている。

そりゃ確かに世の中には名品というものが存在するよ。作り手
の情熱が注ぎ込まれていて、どこから見ても美しく、完成された
ものが。でもそれとて、本当にそれが心底好きな人だけがそれを
手にすればいいわけで、誰もが追いかけなくたっていい。
それよりも、自分の好きなもの、ほっとするもの、どきどきするもの
追っかけるが本来の姿なんじゃないかなって気がする。
世間が決めたものを盲目的に受け入れ、自分の個性は後回しにする姿勢
は近年の日本の典型的な傾向だ。そこには自分の考えなどないが、それ
が生活の質を低下させている原因とは言えないだろうか。

そんなこと考えて走ってたら、大きなバッタの死骸を踏んじゃった。
“Begin”を見て買った、プーマのアレクサンダー・マックイーンの
スニーカーが台無しだよ。
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タバコの運命

先日、小宮山厚生労働大臣がタバコを700円にすることに意欲を燃やし
ていることがニュースで報道された。巷では今日も愛煙家と嫌煙家が
激しくしのぎを削り合っている。

愛煙家は「自分たちには吸う権利がある」、「俺たちの楽しみを奪うん
じゃねー」とのたまい、嫌煙家は「何で不快で有害なタバコの煙を吸わ
されなきゃなんねーんだ」と熱く吠える。それぞれ、もっともな言い分
なんだよね。けどじっと聞いてると結局どちらも相手のことなんか考えていないってことが実に良く分かるんだよね。

自分は非喫煙者だけど、かって職場でタバコに苦しめられた経験がある。
その職場では社内では夕方6時までは一応禁煙だった(一応と言ったの
は社長だけ例外だったから。しかもこのおっちゃん、ショートホープと
いうこれまた臭くてきついのがお好みで、禁煙女子軍団から多大なひん
しゅくを買っていた)。
しかし、火曜日朝8:30から始まる営業会議ではタバコは解禁されて
いた。出席メンバーは5人。自分以外の4人は全員喫煙者。それも皆フル
操業の煙突的ヘビー級。自分は4人掛けテーブルの突端に座ることが多
かったんだけど、そこは風下で4人が一斉に吸い出すタバコの煙は束にな
って自分に襲いかかってきた。もう目は痛いし息は出来ないしでおまけ
に吐き気まで催してきた。このとき真剣に軍用ガスマスク着用での会議
への出席を検討したほど。ではそんなときの喫煙者の反応はどうかという
と、タバコを吸わないものへの配慮など一切なくとめどなく次のタバコに
火をつけ灰皿の上でくゆらし続けるというものだった。人間は自分の
欲求を全うしたいときは冷酷になれる。このとき唯一の非喫煙者の自分
の存在は無情にも全く考慮されなかった。

さてさて、タバコ肯定派にさらに聞いてみた。「なんで辞めないの?」
と。返ってくる言葉の多くが「何度も辞めようとしたけれど駄目だっ
た」とか「タバコを吸ってると喫煙所で友達出来んのよ」、「タバコ
吸ってないと喫煙所での仲間の輪に入れないじゃん」などなど。
「くーっ。おめーら、どんだけ意志薄弱でひ弱っ子なんだよ!」とつい
喝を入れたくなってくる。こりゃ駄目だ。喫煙者と議論しても無駄だわ。

話は最初に戻るけど、有史以来続いてる(そんなに続いてる?)タバコ
論争に終わりがくることはないけれど、人に迷惑をかけないことを最
重要事項として教えようとする今の世の中では、じわじわとタバコは追い詰められていくだろう。もっともドル箱を失う政府にとっては痛いところ
だろうけど、こんだけ表に出ちゃった以上政府もあがらうわけにはいかないしね。愛煙家と嫌煙家間で今後もいろんなバトルを繰り広げながら緩やかにタバコは消滅してゆくんだと思う。

そういった意味で、小宮山さんの発言は自分にはごく自然の成り行きから
来る言葉だと受け止めた。
SKATEISTAN??? 



荒廃したカブール(アフガニスタン)の町を疾走するスケート
ボード。「え?ほんと?」

ご存じの通り、アフガニスタンはまだまだ非常事態下だ。
毎日テロで人が吹っ飛ばされ、弾丸が飛び交う。
かってはシルクロードの一都市で壮麗な文化が花咲き、多いに
栄えた土地であったろうに、今ではがれきだらけの荒れ果てた
土地と化してしまっている。そういえばバーミャン渓谷の仏教
遺跡もふっとばされた。人口は2800万もいるのに、
産業らしい産業もなく、農地では大麻の栽培が続いている。

大国の権益のために仕掛けられた戦争。
血を流すのはその国の弱い者たち。競馬場で自分の賭けた馬の
結果に一喜一憂するがごとくそれを眺めているのは大国に住む
受益者だ。何の権利があって他国に介入するのか。何の権利が
あって自分たちの価値観を押し付けるのか。問題をよけいに
こじらせているだけなのは彼らにも分かっているのにそれでも
やる。その背景にあるのは自分たちの利益以外の何物でもない。
そこには資本主義の冷徹なまでの原理が働いている。世の中の
景気が悪くなり社会が煮詰まってきたときには“戦争を!”と
いう歴史が何度も証明してきた原理が。

この映像を作ったのもアメリカのグループでそのスポンサーには
アメリカのアパレルメーカーがぴったり張り付いている。
あんな場所にスケボー持ってくるあたり計算がちらつく。
その胸糞悪さを感じながらも、アフガニスタンの子供が無邪気に
スケボーで戯れる姿が微笑ましかったのでアップした。
みんなはこの映像でどう感じた?

戦争を仕掛けるのはいつの時代も受益者たち。
そして、戦争で死ぬのは力のない貧しいものたち。
それは洋の東西を問わず、ずっと続いてきたこと。
そして人類が存在する限りずっと続いていく悲しい真理の
ようなもの。
カウンター

WELCOME TO Move On

異文化と自然を愛するイグアナ楽団のページへようこそ。これまでメキシコとアメリカに合計10年住んできました。それ以来人生の歩き方をテーマとして追い続けています。海外を旅するといつも考えさせられる豊かさとは何か。それについて思ったことを書いていきます。
プロフィール

HN:
イグアナ楽団
性別:
男性
自己紹介:
好きな言葉:「生きていくうえでもっとも大切なことは、自らを律し、可能な限り自分に正直であること」
by Robert Redford

mail : cocovenice@gmail.com
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