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メキシコ、カリフォルニア、日本 暮らしへの好奇心は尽きない
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ユニクロについて思うこと

ユニクロとグラミン銀行の提携

最近、ユニクロがあのノーベル平和賞を受けたムハマド・ユヌス氏率いるバングラデッシュのグラミン銀行と組んで現地での衣料品の提供に乗り出すという記事を朝日新聞で目にした。

原料は現地で調達しそれを現地で生産する。そしてグラミン銀行の少額融資を利用した現地女性の販売網を築き、1ドルくらいの価格の衣料品を販売していくらしい。これによって雇用が生まれ所得もあがるという。

と聞くと結構な話のように聞こえるけれど、要は日本の市場が早晩縮んでいくから新しい販路を開拓せねばならずバングラデッシュがその一つとして白羽の矢が立ったということだろう。つまり自分たちの売上拡大のためというわけだ。


そこまでして本当に必要なの?

日本企業が海外に出ていくことには大賛成だ。それは企業が生き残るための一つの選択肢なことは間違いない。けれどバングラデッシュに1ドル程度の衣服をばらまく必要はあるのかなあと思ってしまう。彼らは本当に着る物を欲しているんだろうか?全く手に入らない状態なんだろうか?洋服以外に欲しているものはないんだろうか?と考えてしまうのだ。

ユニクロが洋服を低予算で買える機会を設けてくれたことに怒る人はいないだろう。僕も買ったことがある。けれど大量に作って必要以上に買わせようとするスタイルに違和感を覚えるのは僕だけかな?しかも一度に一枚しか着れない洋服というものをだよ?

ユニクロの洋服には化学繊維で出来ているものが多い。化学繊維は石油から作られるわけだけど、この資源枯渇が叫ばれている時代に石油を大量消費する姿はそぐわない。また綿素材の洋服も販売しているけれど、綿花畑にまかれる大量の農薬や化学肥料の問題、そして綿花畑の拡大による森の消滅なども起きているだろう。つまり物を作り出すには環境に負荷がかかっているのだ。人工的なものなら余計に負荷はかかっている。そこまで環境に無理させて作った服も相当の量が売れ残って破棄されているんじゃないかと思う。


安いものを大量に買うスタイルはすたれていく

もう拡大志向、売上市場主義の時代じゃないと思う。環境は悪化しているし、資源は減っているし、マーケットも縮小している。どう考えても限界が来ている。だから発展途上国で売るんだよという発想は旧態依然のままで何にも変わらない。それで誰が幸せになれるんだろう?売る人も買う人も幸せになれないばかりか、徐々に自分たちの首を絞めることになる。

ユニクロの存在を否定しているわけじゃない。しかしものには加減というものがある。量をさばかないと生き残れないビジネスモデルじゃなくて、デザインや質もそこそこ高め、より長持ちする品質の良いものを作る方法だって考えられると思う。むしろこれからの時代はそういう資源を大事にしていくという発想こそ企業には必要なんじゃないか。

僕自身もここまで書いた以上、もう3枚1000円のシャツに飛びつくことだけは決してしまいと固く心に誓うよ。
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River Plate 濡髪観戦記



アルゼンチンに滞在中、やはりサッカーの試合を、そして出来ればBoca Juniorsの試合を見に行きたいと思っていた。ちょうど滞在していた友人の家がアルゼンチンタンゴ発祥の地の観光名所"Caminito"の脇にあり、Boca Juniorsのスタジアムまで歩いて3分だったこともあって、直接スタジアムまでチケットを求めに行った。

すると、ホームでの試合はちょうど昨日行われたので次は2週間後とのこと。2週間後にはここにはいない。果てどうしたものかと思案していると、友人が「River Plateもブエノスアイレス拠点のチームでスタジアムまで電車で行けるよ」とアドバイスしてくれた。そこでネットカフェに直行しRiver Plateの試合を調べてみると、ちょうど今日の午後San Lorenzoとの試合が行われることが分かった。そこで当日券に賭けてみることにし、スタジアムに向かった。

少し早く着いたので、レストランでステーキとビール+ワインを腹に収め、スタジアムの方へ歩いて行った。途中続々とRiver Plateのユニフォームやチームカラーの赤を着た集団が歩いている。もう赤一色でほかのチームのシャツを着ていたら大変なことになりそうだ。実際、試合前後には町のあちこちでチーム間の乱闘騒ぎが起きるらしい。特にBoca JuniorsとRiver Plateの試合は"clasico"と呼ばれる日本でいう巨人阪神戦のような伝統試合なので荒れるらしい。

スタジオに着くと、もう戦いの前哨戦は始まっていた。お互いのコアなファン同士が金網越しにやじを飛ばしあっている。既にかなりなハイボルテージだ。アルゼンチンのスタジアムではアルコール販売はしていないのでみんな着く前にたらふく仕込んで来たのだろう。幸いチケットを買うことが出来、スタジアムの中へ入っていった。

中はすごかった。人人人だ。しかも赤一色。すでにRiver Plateのチームソングの大合唱が始まっている。すでに上半身裸の人がかなりいる。遠くのほうにアウエーのSan Lorenzoのファンがいる一角がある。観客のいない緩衝地帯を置いて金網で囲まれしかも両端には警官がどっさり張り付いている。間違えてあそこのセクションの席を買わなくて本当に良かった。もし買っていれば今ここにはいなかったかもしれない。

そのうちいつのまにか試合が始まっていたが、僕はまわりを観察しているほうが面白かった。吠える人、泣く人、踊る人、歌う人。もう何でもありだ。おまけに上のほうを見ると、人が鈴なりになっているところがある。誰か落ちないかハラハラしてもう試合を見てるどころじゃなかった。

ハーフタイムでトイレに行った。ここがまたすごかった。エキサイトした観客が殺到してえらいことになっている。しかし、はるばる地球の反対側から来たちっぽけな島国の住民は彼らの生態を見逃さなかった。用を足すと誰もが頭を水で濡らすのだ。そしてその濡れた髪をオールバック風にかき上げると、「どうだいい男だろ!」とでも言わんばかりに鏡に一瞥をくれると何事もなかったかのように出口に向かう。それがほぼ例外なしに若いのから年寄までみんな同じことをする。

アルゼンチンのサッカーの思い出はと聞かれると、残念ながら僕はその光景しか覚えていない。
波間のピアノ弾きがくれた餞別

以前住んでいたメキシコのPuerto Vallarta(プエルト・バジャルタ)は一年中半袖で過ごせる温暖な町だったので、裕福なアメリカ人やカナダ人が別荘を持って住んでいた。そしてそんなパトロンがたくさんいるために多くのアーティスト達も集まってきて、町は観光客と外国人定住者とアーティストで溢れいつも開放的な雰囲気が漂っているようなところだった。

そんな町の高台に友人Raul Diasは住んでいた。彼は現代音楽を得意とするピアニストで、インドで修業を積んだヨーガの習熟者で、ロングボードを操るサーファーで、穏やかな性格の誰からも愛される人格者だった。

週末には無料の瞑想会を自宅で開いていた彼は、家の一室を神聖な瞑想の部屋に改造し、奇妙なオルガンで奇妙な音を紡ぎながらマントラを唱え集まる外国人をリードしていった。僕も気が向いたときに足を運んだ。

彼と会うのはだいたい海の上だった。ジャングルを超えたところにあるいい波が立つビーチで、沖にパドルアウトして行くとカールした長髪から水がしたたらせながら僕を見つけると嬉しそうに声を掛けてくる。そして夕陽が沈むまで共に波を追いかけて過ごした。

メキシコシティの白人系の家柄出身の彼は、インテリでいろんなことを知っていた。僕がローカル(サーファー)と喧嘩して気まずい状況になったときや、当時付き合っていた彼女と大喧嘩したときなど彼に相談すると、僕にミスがあるならば正すべきところは正すというきっちりとしたスタンスで話に耳を傾けてくれた。

僕の帰国が決まったある日、彼がこんなメッセージの印刷された小さな紙をくれた。そこにはこう記されていた。

Silence is the root of awareness.
Compassion and righteousness arise from silence.

- Swami Muktananda -

(静寂は気づきの根源。思いやりと正しさは、静寂の中から生まれる。/ スワミ・ムクタナンダ)

そのメッセージを読むたびに、いつもラウルの目の奥に横たわっていた澄んだ静けさを思い出すのだ。
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WELCOME TO Move On

異文化と自然を愛するイグアナ楽団のページへようこそ。これまでメキシコとアメリカに合計10年住んできました。それ以来人生の歩き方をテーマとして追い続けています。海外を旅するといつも考えさせられる豊かさとは何か。それについて思ったことを書いていきます。
プロフィール

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イグアナ楽団
性別:
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自己紹介:
好きな言葉:「生きていくうえでもっとも大切なことは、自らを律し、可能な限り自分に正直であること」
by Robert Redford

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