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メキシコ、カリフォルニア、日本 暮らしへの好奇心は尽きない
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ここ数年いつも頭の中に有ってなかなか出会えないでいる欲しいものに
青いシャツというのがある。実は物心ついたときから青シャツが大好き で、中学生のころから節目節目には買って現在に至っている。 さて今欲しい青シャツがどんなものかというと、先ず色。紺色ではなくて 水色でもない。ブルーという呼び名がぴったりの見た瞬間に心がカプリ島 の青の洞窟に飛んで行ってしまうような青だ。言うなら夏の青で、街です れ違った人から「あの青シャツ頑張ってんじゃん」と言われるくらいの心 に残る青がいい。 生地はコットンでほんの少しシャリ感のありのもの。半袖でも長袖でもい いけれど、襟はボタンダウンではない普通のものでバランスよく収まって いるもの。デザインは最近流行りの体にフィットする細めなどではなく、 さりげなくきれいな立体感を持つものが理想だ。それをふわりと羽織る ように着れたらいい。 歴代の青シャツで印象に残っているものは、高校生のときに渋谷で買った インディゴ染めでうねりの入った濃い青シャツ。これを着ると少し大人 になった気分になって、渋谷のラスカラや新宿のNYNYなんかのディスコに よく着ていった。そして青少年の野望も敢え無く挫折し、悪友と二人始発 までぶらぶらと時間をつぶしたときもこのシャツと一緒だった。 次が大学で買ったアニエスの青シャツ。日本製では出せないブルーに 一目ぼれして買ったんだけど、生地の感じも実に良かった。初めてシャツ というものがこんなに存在感があるんだよって教えてくれた気がする。 最後はメキシコのプエルトバジャルタのSAMS CLUBで買ったポロの青シャツ。 カゴの中に無造作に丸められて売られていたんだけれど、シャツ眼力を 発揮して購入。発見したときは運命を感じた一枚。このシャツなんと いっても色が良かった。なんていうか遅めの春の空のような少しくすんだ スモーキーブルーで着るたびに色の良さに感心させられた。またサイズも ぴったりで、出かけるのが楽しくなるシャツだった。マイブルーシャツ史 の中でもかなり重要な一枚だったけれど、Whirlpool9kgでガシガシ洗うの が趣味の当時の連れに連日洗われ、ボタンが壊れたとかなんかの理由で 気が付いたら勝手に捨てられていた。 さて、ぐだぐだ書き連ねてしまったが、こと青シャツになるとついつい 突っ走ってしまうのだ。ここまで読んで下さったあなたの忍耐強さに敬服 しつつ、理想のシャツとの出会いを夢見て今夜はもう寝ます。 Good Night! Have a nice blue shirt! PR 焼肉屋のユッケ問題で日本列島が揺れている。
被害を被った人は不運としか言いようがない。 食肉問屋の売り方の不手際、レストランの認識の甘さなども問われる だろう。けれど客側も判断が甘かったかもしれない。 何と言っても280円のユッケに手を出す感覚が短絡的だった。 僕は焼き肉屋でユッケを置いてないところも多い中、それなりの 値段でユッケを出すところは新鮮な肉を扱ってる品質に自信のある店 なんだなと基本的に思っている(もちろんお腹を壊さなかったのは単 なるラッキーかもしれないが)。そういう自分なりの基準を持ってユッケに手を出すか出さないか決めているがそれでも腹を下すかもしれない 覚悟はいつも持っていた。 それを280円という信じられない価格のユッケに何の疑問も持たず手を 出してしまう感覚に、しかもそれを子供に与えてしまう感覚に当事者 たちの思考停止を感じてしまう。 子供にユッケを与えちゃだめだよ。生肉だよ。腹こわす可能性大 なんだよ生肉は。そんなものを子供に食べさせる親の感覚 を疑う。僕が子供のころは滅多にコーヒーを飲ませてもらえなかった。 そしてなぜかキリンレモンにも制限がかかっていた。だからいつか キリンレモンをたらふく胃袋に流し込めるようなリッパな大人になりたい と願いつつ大きくなった (結局態度だけがすくすくと育った...)。 そして自由に飲み食いできる大人たちがまぶしかった。 最近の親を見ていると子供に甘いと思う。ゲームやら携帯やら最初から 全て与えてしまっている。 子供は親が張り巡らせたいろいろな制限の網を知恵を使ってかいくぐっ て大きくなっていくんじゃない?それなのに最初から全て与えちゃった らその子供の創造性が育まれることはなく、夢を持つことも忘れてしま うんじゃない? そういうわけで、子供には、ユッケとコーヒーと、このマーヴィンは まだまだ時期早し!! か~つ! 1年ほど前からLa Paz/Boliviaに住む友人からメールが届いた。
大学院まで行った彼女は、エネルギッシュで有能だった。けれど 女性学のようなものを専攻した彼女には、どうしても日本の社会の いびつなところ、男性優位から始まって対外閉鎖性、企業中心文化 などに我慢がならず、そのマグマはいつもふつふつと煮えたぎっていた。 そんな中、あるオーガニゼーションの仕事に応募した彼女はその仕事を見事勝ち取った。僕は最終的な決断を下せず迷っていた彼女の肩をドンっと叩いてあげた。「この経験はきっと人生の宝になるよ」と。そんな無精ひげ男の無責任なアドバイスを真に受け、彼女は機中の人となって颯爽と海の向こうへ飛び出していった。 その彼女から久しぶりに届いたメール。そこには雪を抱いたアンデスの山々を眺めながら、現地の人の正直さと優しさに日々接しながら生き生きと暮らしていること。先日の日本の地震のときには、有志でチャリティコンサートを開いたら600人くらいの地元の人が集まってくれて日本のことをみな気遣ってくれたことなどが書かれていた。 人が生き生きと生きているとき、多少の貧しさや苦労は問題にはならない。生き生きとした心から生まれ出てくるエネルギーは周りの人を幸せにする。彼女が求めていたものはそこにあったんじゃないか。経済レベルだけでの人との関わり合いではなくて、もっと根源的なもの、人と魂レベルで対話し合うということ。そして人に必要とされ人を必要とすること。そこに生きている実感を得て、自身の存在意義を見出す。それは死に臨むときにもっとも突きつけられるものなのかもしれない。「お前はこれまで何をしてきたんだい?」。そんなときに自分が関わった多くの人の笑顔を思い出せる人は幸せに旅立っていけるのかもしれない。 残念ながら世界第3位のGNPを誇る今の日本では、個人が生き生きと人生を生きられる環境はすでにないのかもしれない。生き生きと生きるのは個人の心構えの問題でしょうという人がいるかもしれないけれど、人間が社会的な生き物で絶えず周りからの影響を受けて生きざるを得ない以上、個人の心構えだけで解決できる問題ではない。 LaPazからのメールは生き生きと生きることについて改めて考えさせてくれるものだった。 | カウンター
WELCOME TO Move On
異文化と自然を愛するイグアナ楽団のページへようこそ。これまでメキシコとアメリカに合計10年住んできました。それ以来人生の歩き方をテーマとして追い続けています。海外を旅するといつも考えさせられる豊かさとは何か。それについて思ったことを書いていきます。 プロフィール
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イグアナ楽団
性別:
男性
自己紹介:
好きな言葉:「生きていくうえでもっとも大切なことは、自らを律し、可能な限り自分に正直であること」
by Robert Redford mail : cocovenice@gmail.com 人生のお買い物
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